日本伝統鍼灸学会第43回学術大会in東京 1

2015年10月24~25日の二日間、東京・タワーホール船堀にて「日本伝統鍼灸学会 第43回学術大会in東京」が開催されました。大会テーマは「日本伝統鍼灸の確立 よみがえる江戸」です。江戸時代に活躍した治療家や流派の研究発表、迫力のある実技講演など、多くのことを学ぶことができました。

奥村裕一先生の課題研究発表「江戸期鍼灸諸流派における膏の源・肓の源」では、江戸時代の治療家たちが臍を中心とした腹部を重要視していたことや、気一元論の思想を持っていたこと、江戸時代以前から漢学の研究が高水準で行なわれていたことなどを講演されました。

 

膏の源・肓の源について

・鍼灸諸流派が腹部の穴処を重視した~意斎流・夢分流の存在があった。

『針道秘訣集』二十八 亡心之針にて、心気を失ったときに鳩尾や神闕に深く刺鍼することが記載されている。※原文を引用します

※亡針トハ一切ノ煩ヒ、大食傷、頓死等ニ心氣ヲトリ亡(ウシナ)フヲ云フ。右ニ書スル如ク先(マヅ)神闕ノ動脉ヲ診(ウカガヒ)、脉無(ナク)ハ不✓針(ハリセズ)。脉少ニテモ有ラバ鳩尾同ク兩傍ニ深(フカク)針ス。是針ニテ不✓利(リセズンバ)神闕ニ深(フカク)立ヘシ。是ニテ不✓生(イキズハ)定業ト可✓知(シルベシ)。是當流之大事也。亡心ノ証ハ皆以テ邪氣心包絡ニ紛(ミダレ)入テ、心氣ヲ奪(フバフ)ガ故ニ如✓斯(カクノゴトシ)。因テ鳩尾并ニ兩傍ニ深(フカク)針ノ心邪ヲ退ケヌル時ハ本心に歸スル也。諸病ノ心持、實積テ邪ト變(カハリ)シ正ヲ失フ。其邪ヲ退クル節(トキ)ハ元(ハジメ)ノ正ニテ病無ト可✓悟(サトルベキ)也。

 

○匹地流では、鳩尾から神闕のあいだの反応を目当てに、心気にかかわる治療をする秘伝

 を伝えており、太極を中心として、その周囲に病の変異があらわれるとしている。

○沢庵『刺鍼要致』一巻:「悦が刺す所は、経脈の処を除き、柔膜を刺すの一徳のみ、

 扁鵲の抓膜の儀、これに幾(ちか)きのみ」とある。

○『史記』扁鵲伝で抓膜という文章がでてくる。室町時代の幻雲という学僧は、『扁鵲倉

 公列伝』の注釈において膏肓との関わりを記している。

○当時すでに李朱医学が道三以前から研究されていた。五山時代の学僧は、日本の漢学研究

 において最高水準であった。

○先ほどの巻物に肓膜という記載があり、その膜外に垢やススが積もるがごとくに原気の道

 を断ち、気が留滞して諸病をおこすとする、いわゆる一気留滞説をすでに提唱しており、

 無心のこころが気をコントロールしていることが望ましいとする。

○朱子学の林羅山の初期は理気合一で気一元論、貝原益軒も同様である。

○伊藤仁斎の影響を受けて後藤艮山(湯熊灸庵)が一気留滞説を提唱した。

○『格致余論』では、腎は閉蔵、肝は疏泄、それぞれ相火を含み、君火の運化に繋がって

 おり、心が動ずれば相火もまた動く。よって心をおさめ、心を養うことが重要としてい

 る。また色欲の戒めでは、放心を乃ち収めることが大事とする。これは孟子の立場であ

 り、それに対して沢庵和尚は宋代の儒学者、邵雍(しょう・よう)の立場から、心をと

 どめない、とらわれない、かたよらないということを重視している。

 

脖胦については、一般には気海穴(出典は『鍼灸甲乙経』)と認識されているが、考証学派の医家には神闕穴とするものが多く、脖はヘタに通じ、胦は中央に通じる。臍を中心として、その周囲に病の変異があらわれ、それに基づいて刺鍼するということは多くの流派にみられる。『針道秘訣集』では三焦の腑として臍をみており、中心と周囲とがひとつとなる姿という捉えかたが重要となる、と話されました。

 

奥村先生の講演はとても貴重な話でしたが、私には内容が難しく、またパワーポイントを読む時間も無いほど進み方が速かったので、途中で集中力が途切れてしまい、後半の話はついて行けませんでした。脳みそのスペック不足を痛感します。

 

林弘観・大浦慈観先生「雲海士流から日本の古典を臨床に生かす(1)」は、日本の伝統的な鍼灸を実践するうえで大変参考となる、そして、その伝統とは何かについて少々考えさせられた講演でした。

 

雲海士流の特徴は、「保神と保心」「出内の補寫」「揺転の補寫」「気血にあてない」「実には遠隔治療、通常の痛みは阿是穴を多用」「人体を4分割し、単純な配穴に補寫」「難経に基づく気血巡行を重視」と7つあり、その中でも「気血にあてない」という表現で痛みを与えない工夫を行なっていることや、「保神と保心」として、患者と術者の精神状態を安寧に保つことが、気血を乱さぬ刺鍼には大切であるとしていたことに興味を惹かれました。雲海士流では、病は滞ることで発生すると考えていたため、実した患部に鉄鍼を直接刺すのを好まず、四総穴などを使ってその滞りを動かすことを目標としていたそうです。また一方で、患者や術者が「ここだ」と思った処も大事にしたということです。このあたりは、術者が一方的に治療するのではなく、患者と心を通い合わせることの大切さが伝わってきます。刺鍼の際は刺すタイミングや深さを相手に合わせて変えるなど、繊細な技術を追求していたそうです。そして鍼の働きは天地の徳と同じであり、鍼柄を天、鍼尖を地として、「その天地の働きに思いを合わせなければ病治は治らない」といった姿勢や、「自然の師を尋ね無尽蔵の我が心にて熟慮し、道を窮めよ」という教えから、非常に高い精神性を感じます。相手への思いやりを忘れず、自分の治療技術を磨いてゆくというプロセスは、現代でも全く変わらず、我々にとって必要とされていることです。単にどこの経穴を使えば治るとか、○○療法は効く等といった短絡的なものに流されず、治療家として必要な気構えを忘れてはならないと思いました。

 

ひとつ気になったのは、雲海士流の高い精神性はどこから来たのかということです。それは雲海士流の礎となった朝鮮の医師、金得拝がそなえていた徳なのか、あるいは金得拝から学んだ先進の鍼灸技術と、桑名将監と孫の玄徳による日本的な心の融合なのか。我々は日本人の思想は素晴らしかったはずだと勝手に思いがちですが、当時から儲け主義に走る医者や偽医者が横行していたというのが現実だそうですし、悪党だって大勢いたはずです。ただ、朝鮮から連行されてきた医師が、敵である日本人に奥義を伝授したわけですから、互いに認め合える人物であったことは間違いないと思います。鍼の技術的なことはもちろん、そのへんの思想的な背景がどうだったのか、また後の諸流派にどのような影響を与えていったのか考えると興味深いです。林先生・大浦先生のさらなる研究発表に期待しています。


斉藤宗則先生による「WFAS(世界鍼灸学会連合会)の動向と学術大会の魅力」では、この組織が日本の発案により発足したことや、特に中国の視点や戦略が反映されていること、来年はつくばで東京大会が開催されること等の紹介がありました。また、2014年の学術大会では、中国の浮針療法、中医筋骨三針法、経絡激通療法などが発表されて話題になっていたという話を聞き、早速ネットで各療法の動画を見てみました。

 

浮針療法は、点滴針ぐらいの太さの専用針をバネ式の器具を用いて、あるいはそのまま手で5センチほど水平に刺し、そのあと扇形にグリグリと針を動かします。限局性疼痛に著効があるそうです。プラスチックの鍼管を留置して置鍼することもできます。見た目は痛そうですが、実際はそれほどでもないそうです。中医筋骨三針法は、日本では鍼灸というよりも外科処置に属すものと思われます。注射器でオゾンの気体を椎間に注入したり、いろいろな種類の針を関節や骨膜、筋膜に刺鍼してグリグリしていました。また頚椎のスラストも行なっていました。経絡激通療法は、『素問』繆刺篇にあるように「左の病を右に取る」といった方法を用い、たとえば右膝が悪ければ左肘に刺激をします。特徴的なのは経絡を生物電波と捉えて、それを調整するために「経絡激活儀」という、先が員針のように丸くなった電気器具を使用することです。反射区は番号によって図に示されており、誰でも簡単に経絡を調整できるそうです。動画では3名の患者に治療を行なっています。背中を肘でゴリゴリして、腹部に経絡激活儀を当てると、肩痛や腰痛に著効がみられました。治療後のおばあさん、杖を放り投げて大喜びです。下記の文字をコピペしてgoogleの動画検索をすると、すぐに見つかります。

针疗

刀筋骨三

经络激通

 

また、現代中国人と日本人との鍼灸に対する考え方や感覚の違いがよくわかる動画がありました。おそらく、日本の鍼灸しか知らない人にとっては肝をつぶすかもしれません。治療方法が良いとか悪いとかではなく、患者の女性に注目すると、貝原益軒が日本人と中国人の違いを指摘した理由が納得できます。

银质针疗视频 病人篇 病人1


では、中国人には微細な日本の鍼灸は適さないのでしょうか? そんなことは無いと思います。私は雲南省や四川省の少数民族の友人(イ族・プーラン族・蒙古族)を訪ねた際に超旋刺と八分灸、台座灸で治療をしましたが、それぞれ効果がありました。来年のWFAS東京大会で、日本の鍼灸が海外の治療家からどのように評価、理解されるのか関心があります。また、世界の鍼灸事情がどうなっているのかを知る良い機会であり、ぜひ大会に参加したいと思いました。

 次回も伝統鍼灸学会のレポートをします。


網上にある鍼灸院です
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