首藤傳明先生

ドイツで講演する首藤先生
ドイツで講演する首藤先生

首藤傳明先生は鍼灸を生業とする人なら、知らない人のいないくらい有名な鍼灸師です。 

今年(2013) 2月に発行された『首藤傳明症例集 鍼灸臨床50年の物語』の著者紹介には、

 

1932年、大分県生まれ。1952年、首藤鍼灸院を開業。

社団法人大分県鍼灸師会の会長を4期務める。現顧問。

 2008年度末まで日本伝統鍼灸学会会長を務める(9年間)

 社団法人全日本鍼灸学会評議員。間中賞選考委員も務めた。

鍼灸師のための私塾である弦躋塾塾長。 

「忘己利他(己を忘れて他を利す)」がモットー。 

 

著書に『経絡治療のすすめ』、『超旋刺と臨床のツボー鍼灸問わず語り』、

またDVD『首藤傳明の刺鍼テクニックー超旋刺と刺入鍼―』などがある。

海外でもセミナーや講演等を広く行なっている。

Denmei Shudou」と呼ばれることが多い。」

 

と記されています。

 

臨床50年とひとくちに言いますが、簡単なことではありません。そればかりか、現在も現役なのです。地元だけでなく、県外からも、遠く海外からも治療を希望する方が来院されています。

先生の臨床風景 (写真をクリックすると大きくなります)

首藤先生と私

首藤先生との出会いは、2001年。 

東京医療専門学校を卒業し、はり師きゅう師免許を取得した、春のことです。 

その出会いは、私が月刊誌『医道の日本』に2011年1月号から2年間、連載していた『離島鍼灸師ライフ』に詳しく書いたので、ここに引用します。

 

 

 

離島鍼灸師ライフ  

1回       弦躋塾と開業まで

首藤先生との出会い

鍼灸師になった2001年の春、私は大分駅前で呆然としていた。学生時代から3年間勉強したN先生の治療を初めて受けに来たのだが、前日に転んで怪我をされ休診になってしまったのだ。その研究会では理論は学べても実際の治療は受けられなかった。鍼の効果を体感したくてアメリカと、ここ大分まで足を運んだのだが、それが叶わなかった。きっと縁が無かったのだろう。今思い返せば、独りよがりな甘い考えで行動しただけの事だが、そのときは将来の展望を見失った気がした。

 

これからどうするべきか、しばらく考えていたが、たしか大分には有名な先生がもう一人いたはずと思って電話帳を調べた。それが首藤傳明先生だった。『経絡治療のすすめ』は読んだことがあるが、実際に勉強したことも、経絡治療を受けたことも無かった。しかし何も収穫のないまま東京に帰ることは出来ない。体調が悪かったのと、勉強のために治療を受けたくなった。首藤鍼灸院に電話をすると、もう今日は一杯だという。諦めかけたが、「とにかく来なさい」との言葉を頂き、バスで向かった。

 

田舎の畑の中にある古い家に入ると、大勢の患者さんが治療を待っていた。座敷の待合室はのんびりと明るく、自分が考えていた鍼灸院のイメージとは全く違う。名前を呼ばれて治療室に入ると、3人同時に治療する首藤先生の姿が見えた。「あんた鍼灸師かい?」、「はい、新卒です」、「ほう、そうかい」というような会話をしながらも手は休めず、流れるような治療が行われていた。驚いたことに、後ろ向きのままでも体位変換や施灸の指示を手振りで合図し、即座に奥さんが対応していた。神経が行き届いて動きに無駄の無い、それでいて和やかで暖かな感じを受けた。

 

自分がどのような治療を受けたかは詳しく憶えていない。ただ、先生の手がとても柔らかくて温かく、心地良かった。あとで聞くと肺虚証だったという。よほど落ち込んだ顔をしていたに違いない。治療が終わり、礼を言って治療室を出ようとすると先生が一言、「見て行きなさい」。これが弦躋塾に通うきっかけとなった。

 

その日の午後と、翌日は朝から夕方まで先生の治療を見学し、臨床家とはこうあるべきだというような理想の姿を目の当たりにした。百聞は一見にしかず。次々と良くなっていく患者たちを見て驚くばかり。それにも増して感動したのが自分に対する治療の効き目であった。初回の治療後、2週間続いていた下痢が止まり、背中の痛みも楽になった。これこそ私が求めていたものだった。そして翌日の治療では、気分がパッと明るくなったのである。帰り道、バスに乗るため隣町まで歩く間も、楽しさがフツフツと湧いて来る。首藤先生の鍼に出会って、再び目の前の道が開けた思いがした。

 

弦躋塾

初めて弦躋塾に参加した日は、「初心者のための鍼灸治療学」という講義の初回だった。50年という長い臨床経験から述べられる治療哲学は、首藤先生が苦労していかに治せるようになったかという歴史の集大成であった。東京に帰ってからも録音を繰り返し聴いていたが、自分の勉強用に文章に起こしてみた。読んでみると、聞くのとはまた違う視点で理解が深まる。それから毎回、講義・取穴・実技のやり取りをテープから起こして、いつでも読めるようにした。ある程度の量になったので首藤先生に見せたところ、「これは良い」と文章の校正をして下さった。しばらく続けたらA4サイズで600ページになっていた。

 

 弦躋塾では学術的な理論よりも実践的な治療法を教える。「取穴」の指導はその最たるものだ。「良いツボが取れたら、多少は鍼が下手でも効く。それなりに治せる」と言われ、初心者の私にも希望が持てた。畳の上で膝をつき合わして指導してもらう。「これはちょっとズレちょる、こっちがツボじゃ」と赤ペンで印をつけてもらい、自分で再確認をするのである。取穴のやり取りの様子を映像に記録すれば、いつでも復習できると思い、ビデオで撮り始めた。これは後に「取穴論DVD」として塾生に頒布することになった。テープ起こしもビデオも、少しでも治療が上手くなりたいから始めたのだが、それらを作成する際に何度も繰り返して読んだり見たりすることが、より自分の勉強になった。

 

開業

鍼灸師として未熟なのは自覚していたが、先生のアドバイスもあり、20025月に東京・中野で開業した。この業界に入ったのが年齢的に遅かったのと、初心者ならば何でも聞けると思い、弦躋塾の他にもいろいろな研修会に参加した。金銭的には無理をしたが、早く治せるようになりたかった。もう無我夢中だった。

 

 首藤先生からは鍼の技術のみならず、鍼灸師としての生き方まで影響を受けた。「鍼は真剣勝負じゃ。人のためにという気持ちでやれ。そんな簡単に上手く行ったら人生はつまらない。苦労を苦労と思わず苦労しなさい」。この言葉に支えられて毎日頑張った。

 

網上にある鍼灸院です
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