第41回日本伝統鍼灸学会学術大会(京都大会)

前日の昼に五島を出発
前日の昼に五島を出発
学会の開催された京都エミナース
学会の開催された京都エミナース
会場のようす
会場の様子

9月28~29日の2日間、京都エミナースにて第41回日本伝統鍼灸学会が開催された。私は前日の昼に五島を出発、翌朝に神戸港経由で京都入りしたものの、会場までのアクセスが不便で時間をロスしてしまった。楽しみにしていた教育講演(長野仁・穴法図と経絡図のイコロジー)は半分しか聴講できず残念だったけど、その次の会長講演(形井秀一・世界の中の日本鍼灸)は、これからの日本鍼灸がどうなっていくのか、どうあるべきなのかを考えさせる内容だった。

 

形井先生は、東洋の医学と西洋の医学を歴史的に(特に中・韓・日を並列して)振りかえった。日本では19世紀の前半に出島経由で西洋医学が入り、1874年の「医制」で東洋医学が国の医学制度から外され、1911年には「鍼術灸術営業取締規則」が制定され、1947年に「あん摩、はり、きゅう、柔道整復等営業法が公布されて現在に至っている。新し物好きな日本人らしく、それまで培ってきた文化や医療技術などをあっさり捨て去ってしまったのが惜しい。「陰陽五行の惑溺を払わざれば窮理の道に入る可ならず」と批判した福沢諭吉に対して、「いい加減なものだ」と言い放つ家本誠一先生みたいな人は当時いなかったのだろうか。「20世紀の中頃から東洋医学が見直されてきたと言われるが、それは西洋医学が基礎・主体となる鍼灸が求められてきたわけであり、国民のほとんどが西洋医学を受けているという現実がある」と形井先生。これからは「西洋医学との統合と模索」をするのか、「独自性の模索」をするべきなのかと問いかける。同時に「これは中医学や現代医学とどのような関係にあるかという問題でもある」と述べた。

 

「このままでは日本の鍼灸はガラパゴス化する」という意見があるけど、だからといって日本の鍼灸が絶えて無くなるわけではないだろう。たとえガラパゴス化しようとも、日本の繊細な鍼灸が価値あるものであれば他国も放っておかないはずだ。なぜなら鍼灸を用いているどの国だって、「治せる鍼灸治療」を目指しているからである。そのうえ日本人は手先が器用だし、漢文だって返り点などを使って読めてしまう民族なのだ。古典を学ぶ上でも、他国の人に比べて圧倒的に有利な立場にいる。

 

とはいえ、現状的には中医学や韓医学に対する日医学は無いし、これからも期待できないだろう。むしろ期待なんかせずに、私たちは目の前にいる患者を治し続けることだ。「薬が使えないのは片手落ち」なんて言う先生もいるけど、むしろ薬を使わずとも治せる日本の鍼灸に誇りを持つべきだし、私のように人口の少ない僻地で細々と鍼灸院をやっていても、それなりの需要はあるものだ。もしも日本の鍼灸が絶えるとすれば、それは臨床家の技術が低下して、患者からそっぽを向かれた時だろう。情報化社会になったせいか、最近は理論ばかり知っていて技術の伴わない鍼灸師が増えていると聞く。また、高い金をかけて免許を取ったのに、挫折してしまう人も多いそうだ。もっとも、私が学んだ専門学校は西洋医学に偏っていて、ほとんど伝統的な鍼灸は学べなかった。今はどうか知らないが、実技では手指を消毒したうえに指サックをはめて刺鍼させたり、痩せて虚証の生徒にも寸6の3番をブスブス刺すような教え方をしていた。学校付属の施術所には「遠隔治療禁止」と張り紙がしてあったし、実際に臨床で必要な体表観察や脈診などは全く学べなかった。そんなことで卒業して臨床に向かっても患者が治せるわけがない。特に、「気の医学」としての技術を伝えてこなかった日本の鍼灸業界(教育機関)の責任は大きいと思う。形井先生は「世界の鍼灸と明確に共存できる関係を築きあげておくべきであろう」と言われたけど、そのためにも鍼灸界はまず足元をしっかり固め、治せる鍼灸師を増やすのが先決ではないかと感じた。

 

懇親会

 

あっという間に初日のプログラムが終わり、懇親会へ参加した。先生方の挨拶のあと、作家の河治和香さんが素敵な着物と日本髪で登場した。『鍼師・おしゃあ』という小説の著者で、かの有名なシルビア・クリステル(エマニエル夫人)が河治さんを恋敵と勘違いして嫉妬したというほど、存在感のある日本美女でした。翌日は販売ブースでサイン会も行なわれ、行列が出来ていた。

 

形井会長の「世界の中の日本鍼灸」
形井会長の「世界の中の日本鍼灸」
懇親会の様子
懇親会の様子
颯爽と登場した小説家・河治和香氏
颯爽と登場した小説家・河治和香氏

 

懇親会は、いわば鍼灸界のオールスターが集まる場であり、憧れの先生方を間近に見れるチャンスでもある。学生や初心者は勉強だけでなく、こういう場所にこそ参加したほうがいい。きっと質問にも答えてくれるし、握手だってしてもらえるだろう。一流の先生はみな柔らかい手をしているし、臨床家としての貫禄も伝わってくるのだ。首藤傳明先生は本学会の前会長であり、親しい間柄の先生も多い。様々な流派・流儀の先生がいるけど、誰に対しても瞬時に話題を合わせて語り合い、笑いあえるというのは、優れた人間力のなせる業だと思う。そして相手の先生方も。歓談する光景を隣で見ながら、懇親会は人間力を磨く場であり、試される場であるなとつくづく感じた。あまり知られていないかもしれないが、首藤先生は会長時代、伝統鍼灸学会を高め、盛り上げるために相当苦慮されてきた。今日、首藤先生が多数の先生から信頼を得ているのは、そのときの賜物だろう。正に「鍼は人なり」。

 

藤本蓮風先生と
藤本蓮風先生と
新井康弘先生と
新井康弘先生と
大和田征男先生、金子宗明先生と
大和田征男先生、金子宗明先生と

宮脇和登先生と
宮脇和登先生と
加賀谷暉彦先生と
加賀谷暉彦先生と
小野博子先生と
小野博子先生と

金井正博先生と
金井正博先生と
丸山治先生と
丸山治先生と
形井秀一先生と
形井秀一先生と

 

今回は久しぶりに首藤先生の隣で杯を酌み交わすことができ、塾生の私にとって最高の時間を過ごすことができた。先生は色々な種類を飲んで楽しむスタイルなので、テーブルの上にはグラスがにぎやかに並ぶ。あっという間に酔いが回るも、貴重な話を逃さないように気合を入れる。しかしビール、熱燗、ワインと飲んだ後に頂いた黒霧のロックは足まで効いた。

首藤先生と乾杯
首藤先生と乾杯
宿に帰ってから太敦に鍼しました
宿に帰ってから太敦に鍼しました
握手をする新井先生と鹿住先生
握手をする新井先生と鹿住先生

 

私の右隣には漢方鍼医会の新井康弘会長と隅田真徳副会長が座っておられ、親しく話をしていただいた。私は東京時代、漢方鍼医会の地方会(東京漢方鍼医会)に参加していたことがあり、素問・霊枢・難経医学をもとにした脈診や病理・病証などを学ばせてもらった。漢方鍼医会の先生方はみな勉強熱心で、勉強会後の飲み会では鍼灸談義が過熱して終電ギリギリになることも多かった。先月の弦躋塾セミナーで講義をしていただいた中田光亮先生と同じく、新井康弘先生も故福島弘道先生の弟子であり、非常に魅力的な先生である。会が分裂した経緯は私も知っているけど、両先生の関係はとても良いそうで、先日の中田先生は「同じ釜の飯を食べた仲間だからね」と話されていたし、新井先生も「兄貴だからね」と話されたのが印象的だった。素晴らしい先生が率いる二つの団体が良好な関係であれば、それは経絡治療界だけでなく、日本鍼灸にとってプラスになることだと思う。そのようなことを考えていたら、東洋はり医学会の鹿住先生が通りかかり、お二人の先生は「ほらね」と力強い握手を交わされた。素晴らしい光景でした。

 

学会2日目

シンポジウム「日本伝統鍼灸における経絡の臨床的意義」
シンポジウム「日本伝統鍼灸における経絡の臨床的意義」
橋本巌・木戸正雄・奥村裕一の三先生
橋本巌・木戸正雄・奥村裕一の三先生

 

2日目のプログラムはどれも内容が充実していて、時間の過ぎるのが早く感じるほどだった。「浅筋膜の役割について」を発表された元慈恵医大の早川敏之先生は、体表から数ミリの世界に照準をあて、その機能と構造から、鍼の刺激がどのように作用しているのかを詳しく説明された。つづく会頭講演(篠原昭二・鍼灸臨床で不可欠な経絡に関する知見)末梢部位に発現したツボに軽微刺激(皮内鍼)をすることで、その経筋上にある炎症症状(炎症部の動作痛)を明らかに減少することができるという発表だった。篠原先生といえば経筋研究の第一人者であるが、末梢に0.5mm程度の皮内鍼刺入をするだけで何でも治るのか疑問に感じたので、休憩時間に質問をしたところ、篠原先生は丁寧に答えて下さった。つまり、「臨床では患者に初めから皮内鍼を入れるのではなく、あなたの治療するように脈を診て本治法をやって標治法をやればいい。しかし経絡が通じても、最後に症状が残るのは経筋であり、その際に末梢の反応点に皮内鍼を入れれば効果は絶大なんだよ」ということだった。納得しました。

 

続くシンポジウムでは「日本伝統鍼灸における経絡の臨床的意義」というテーマで、3名の先生により話が進められた。橋本巌先生は「経絡・経穴は病があって初めて顕現する」(岡部素道)、「経穴の反応を経絡の変動としてみることができる」(岡田明祐)という先達の言葉を引用し、経穴の反応とは経絡の変動であり、経絡の変動を「虚実」として判断すること、病経の虚実を知るということで病証の理解ができる。病証を経絡的にみれば、あらゆる症状に対しても「経絡の変動を調整する」という観点で積極的な治療ができると話された。虚実関係の総体を把握するためには臓腑経絡説に法って考える必要があり、初めに五臓の精気の虚がおこり→そこに病因が加わり→病理状態となって気血津液の虚実がおこり→寒熱が発生し→臓腑経絡に寒熱が波及して病証を現すという因果関係がある。これによって病証からの視点でも、五臓の精気の虚からの視点からも、いずれも経絡を介した見方というところに(経絡治療の)価値があるとまとめられた。

 

木戸正雄先生は、「鍼灸医学の治療システムは、人体を縦にとらえた経絡系統(三陰三陽)と横にとらえた天地人(三才)がある」とし、それぞれの治療法を構築したものがVAMFITと天・地・人治療であり、寒熱の波及は十二経脈の把握だけではなく、十八絡脈、十二経別、十二経筋も含めて把握しなければならないと話された。たとえば耳の疾患に大腸経を使って治療できるが、肺経も大腸経も経脈は耳に通じておらず、是動病・所生病にも記載はないが、絡脈は耳に通じている。また、大腸経を使って頭痛の治療ができるのも、陽明経筋が前頭部を支配していることで理解ができる。経絡は縦の流れのほかに横につながる流れがあり、これらの重層構造が、左右の陰陽、上下の陰陽、前後の陰陽に関わっているとまとめられた。また、奇経治療における二つの体系として八脈交会穴による治療(『鍼経指南』他)と奇経流注上の穴による治療(『素問』他)をあげ、それぞれ新治療システム(縦系:十二経脈、『VAMFIT』)と天地人-奇経治療(横系:天・地・人、『天・地・人治療』に対応するとした。

 

奥村裕一先生は臨床的な観点から、臓腑・臓象と経絡とを有機的に繋げるものとして臓腑経絡学説と位置づけ、素問・霊枢などの古典をはじめ、明代や清代の書物から引用し、これまで経絡がどのように考えられてきたかを説いた。特に奇経の臨床応用として、『素問・痿論篇』、『素問・繆刺論篇』、『鍼経指南』、『難経本義』、『奇経八脈考』、『針方六集』、『医門法律』等の書を参照された。そして、奇経を臨床的に理解・応用するうえで思想的な背景に注目し、この医学独自の宇宙観・生命観・歴史的展開を踏まえた上で、診察診断から治療に至るまでの根幹となるものが臓腑経絡学説であるとまとめられた。

 

 橋本先生は経絡治療の病に対する考え方を、木戸先生は流注からの考察を、奥村先生は歴史的な解釈を紐解き臓腑経絡学説とは何かを語られたと思います。大変勉強になりました。

 

 

「鍼師おしゃあの周辺」
「鍼師おしゃあの周辺」
武田時昌先生
武田時昌先生
大上勝行先生の実技
大上勝行先生の実技
宮脇和登先生の実技
宮脇和登先生の実技

昼のランチョンセミナーは小説家・河治和香氏の「小説『鍼師おしゃあ』の周辺」に参加。ラッキーなことに弁当(お茶つき)まで無料サービスで配られた。幕の内弁当を食べながら、スライドを使った楽しい江戸風俗の話題に耳を傾けた。河治さんの話が面白かったので、講演後は販売ブースに本を買いに行く人が多く、メイン会場が閑散となってしまった。

 

私も『鍼師おしゃあ』を購入後、そのまま向かいの部屋で始まっていた武田時昌先生の教育講演「鍼灸師論-名医、良医の歩んできた道」を途中から聴講したが、まるでスーパーボールのように弾けた内容にビックリ。去年の武田先生の講演は、私には少々話が難しすぎたけど、今回は学生向けのためか雰囲気がガラリと変わり、若い世代の心をつかむキーワードも多かった。「一方」妙観派神医五箇条(一鍼回復の神技、一服平復の妙薬、一看識病の眼力、一金不求の寡欲、一指相伝の秘法)をはじめ、文化認識と脱日常の旅として江ノ島の西浦霊園、弥勒寺、高野山金剛峯寺普門院、江島神社、江島杉山神社への正しい行き方、勝新の『不知火検校』に大山詣、ヘレンケラーに八方睨みの亀、平城京の二条大路木簡、アキバ住民法、鍼灸の科学と魔術、超電磁光仮説、イマジンブレイカー、鍼灸新撰組神無月結成式、按摩の王子様と灸姫メモリーズ等々、会場はその内容に圧倒されたまま時間オーバーとなった。

 

続いて実技「経絡治療の診断治療」を見るためにメイン会場に戻る。大上勝行先生の実技は師匠の池田政一先生にそっくりだった。話し方や問診の進め方、患者の訴えに肯く様子、綿花を指に挟んで刺鍼するところまで、まるで池田先生が実技をしているかのよう。いかに大上先生が努力して学ばれたかが伺える。そして前から楽しみにしていた宮脇和登先生の実技だが、残念ながらフェリーの時間があるために途中までしか見ることが出来なかった。ギリギリまで粘ったけど、解説をしているところで会場を後にした。ああ残念。

翌朝のフェリーから見た空
翌朝のフェリーから見た空

帰りは神戸からフェリーで九州に戻り、JR特急で佐世保へ向かい、再びフェリーに乗って五島に帰宅した。たっぷり時間がかかった(丸一日)ので、移動中に『鍼師おしゃあ』を読み終えた。面白かったです。映画化しないかな。

網上にある鍼灸院です
網上にある鍼灸院です