第29回経絡治療学会学術大会 九州大会

朝の船で五島を出発したが・・・
朝の船で五島を出発したが・・・
会場のアクロス福岡
会場のアクロス福岡

 

平成26年3月29日(土)~30日(日)の二日間、福岡市にて第29回経絡治療学会学術大会が開催された。テーマは「伝統を守る鍼灸治療」。久しぶりの勉強会参加で喜び勇んで出発したものの、海が時化て船が大揺れし、嘔吐の連鎖反応に巻き込まれて大ピンチ。欠航にならなかったのは幸いだったが、福岡に着いても気分の悪さが治まらず、会場入りも遅れてしまった。

 

学会の様子

 

自分で鍼治療をしながら聴講開始。教育講演の「六部の脈状からみた薬法と選穴」(黒岩弦矢先生)では、弦脈を例に具体的な考察をされ、実際の臨床においては「病症と脈状を加味して柔軟に判断することが大切」であると述べられた。そして『医宗金鑑』に書かれている「弦細端直、且勁曰弦。緊比弦粗、勁左右弾」(弦は細くて真っ直ぐでかつ強い。緊はやや太くて左右に指をはじく)」の細・直・勁・粗がどのような病理で発生するのかを解説された。

 

「たとえば労傷などで気血両虚になると、肝経の収斂作用が失調し、相克関係である肺経の発散作用や脾経の甘みの作用などが優位になって脈管を太くゆるやかにし、そこに陰虚の熱が加わると弦脈が混ざってくる。大脈は収斂作用の低下によって、気をつなぎ留めておく力が失われたために、右寸口に特徴的に現れることが多い。弦脈は表面はやや緊張し、左側は右側よりも沈み、血虚による少陽経の陽気を反映して弦が強く現れる。弦の強さの度合いで熱の程度を推量することができる。脈が細くて弦の場合は陰虚である。一般的に陰虚というと、浮・弦・大で強く打つ脈を想像しがちだが、それは主に内傷によって体の内側から肝風が生じているような状態の場合である。陰虚では脈管などの水分が少なくなるから脈は当然細くなり、虚熱を反映して沈・数になる。それに加えて脾気の虚があれば左側に軟が現れるし、陰虚で胃経の下降が妨げられて痰が生じれば、右側に軟・滑という脈状が出てくる」等々、脈状から蔵や経の状態を推測するうえでのポイントを講演していただいた。勉強になりました。

 

首藤先生は司会で登場
首藤先生は司会で登場
馬場道敬先生
馬場道敬先生
安井廣迪先生
安井廣迪先生
W.Michel先生
W.Michel先生

 

会頭講演は馬場道敬先生による「伝統を守る臨床実技」。馬場先生は岡部素道、馬場白光という経絡治療の大家に師事され、司会の首藤傳明先生が言われたように「初期の経絡治療のシンプルさを継承している」鍼灸師である。弦躋塾セミナーでも特別講師をしていただいたので、塾生にはお馴染みの先生だ。十二経の虚実を診て、六部定位で最も弱く感じるところを虚、強く感じるところを実として証を決定し、刺鍼は浅くて単刺が基本。無駄な鍼や理屈の無い淡々とした治療からは、長年の臨床から培われた迫力が伝わってきた。うまく言えないが、本当に治せる先生というのは共通した存在感があるものだ。「脈はスーッと入ること、あれこれ考えないこと」、「肺経の弱い人は太淵あたりをつまむとチカチカする」、「肓兪を押さえて硬い側の腰が弱い」、「脈に変化の無い場合は鍼をしない」、「孔最は尺沢寄りに、復溜は一横指下に取る」等々、様々なレベルの受講者がその人なりに学べた講演だったと思う。沢山のヒントをいただきました。

 

特別講演は安井廣迪先生による「鍼灸古流派と経絡治療」で、残された書物から日本鍼灸がどのようなものであったのかを振り返った。古くは562年(遣唐使よりも前)に呉の知総という人が薬書や明堂図などを持って来日し、1536年には日本鍼灸が開花して色々な流派が出現し、百花繚乱の時代を迎えたという。腹部を重視する吉田流や匹地流、経の虚実を補瀉する雲海士流など、古流派が経絡治療の先駆けであったことを紹介された。

 

二日目、ヴォルフガング・ミヒェル先生の教育講演は、「東洋医学:西漸史における日本の貢献」で、日蘭交流時代における医学交流や、南蛮人宣教師が記した和漢医学に対する資料など、豊富なスライドを用いて紹介された。宣教師が灸のことを「火のボタン」と書いたために、本国では焼きゴテと勘違いされたり、当時の日本人が(生活が貧しいにもかかわらず)健康でいたことや、ほとんどの病気は灸で治してしまうといった当時の日本人の医療事情がヨーロッパの文書には残されていた。そして、それらを欧州人の先生から(日本語で!)紹介してもらえるなんて大変ありがたいことである。ヴォルフガング先生によると、19世紀の初頭まで「東洋医学」に関する情報の大半は中国からではなく出島オランダ商館から伝わり、その中には日本独自のものも少なくなかったという。また、ポルトガル人のアルメイダが私財を投じて大分に建てた病院の再現図や、そこで使われた薬は漢方薬であり、薬草は近所の山だけでなく、マカオやコーチンからも輸入していたという話も興味深かった。ただ、時間が押して講演時間が短くなってしまったのが大変残念だった。他所から招いて講演してもらうのだから、会はその前の会長講演を短くするなどして配慮するべきではなかったかと思う。

 

シンポジストの山口・戸田・馬場の各先生
シンポジストの山口・戸田・馬場の各先生

 

その他、気配りと笑顔が印象的だった大木健二先生の実技や、一般発表など盛り沢山の内容で、あっという間に二日間が過ぎた。特に最後に行なわれたシンポジウム「伝統を守る鍼灸治療」では、治療スタイルが異なっても、互いを尊重して学術を共有しようとする姿勢が感じられた。鍼灸界に限ったことではないが、若い世代の人達は柔軟さを持っている。一昔前のように互いに牽制したり、相手を論破しようとするのではなく、先人が育んできた経絡治療を皆で共有して後世に残そうという思いが、シンポジストや司会の先生方から伝わって来ました。

 

網上にある鍼灸院です
網上にある鍼灸院です