リレー講義「蕁麻疹の鍼灸治療」補足2

講義が長引いてしまい、満足な実技ができませんでした。失礼しました。
講義が長引いてしまい、満足な実技ができませんでした。失礼しました。

諸痛痒瘡、皆属於心

リレー講義の続きです。今度は痒みについて考えてみます。⑤『素問 至真要大論篇 第七十四』のいわゆる病機十九条には、風による掉眩は肝に属すとか、湿による腫満は脾に属すといった条文が書かれていて、ここに「諸痛痒瘡、皆属於心」(諸々の痛み痒み瘡は、皆心に属す)という文があります。その下に小さく書かれている王冰(ひょっとすると林億?)の注釈には「心寂なれば微かに痛み、心躁なれば甚だしく痛む、百端之起は、皆自ずと心より生れる,痛み、癢み、瘡、瘍は心より生まれるなり」と書かれていて、心機能が傷害された程度によって痛みの強さも変わることを述べています。心は君主の官で、神明はこれより出づ(霊蘭秘典論篇)わけですし、精神の舎る所(霊枢・邪客)です。そして心は身の血脉を主る(痿論篇)のですから、心の働きが傷害されると精神に影響を及ぼすだけでなく、人の精神状態によっても血の循環に影響が及ぶということが考えられます。またレジュメの⑥から⑪までは、「諸痛痒瘡、皆属於心」に対する後代の医家の解釈を、時系列にそれぞれの著書から引っ張り出したものです。

 

⑥劉完素1152年『素問玄機原病式』「諸痛痒瘡瘍皆属心火」

⑦張従正1228年『儒門事親』「諸痛癢瘡瘍、皆属於心。丙丁火也、火鬱發之」

⑧呉昆1594年『素問呉注』「熱甚則痛,熱微則癢,瘡則熱灼之所致也。故火燔肌肉,近則痛,遠 則癢,灼于火則爛而瘡也。心爲火,故屬焉」

⑨張介賓1624年『類經』「熱甚則瘡痛,熱微則瘡痒。心屬火,其化熱,故瘡瘍皆屬於心也。然赫 曦之紀、其病瘡瘍、心邪盛也」

⑩李中梓1642年『内経知要』「熱甚則瘡痛、熱微則瘡癢、心主熱火之化,故痛癢諸瘡、皆属於心 也」

⑪高世栻1695年『素問直解』火、舊本訛心、今改。諸痛癢瘡、皆屬於手少陽三焦之火。諸寒厥而 固洩、皆屬於下。下、下焦也。諸痿痹而喘嘔皆屬於上。上、上焦也。是三焦火熱之氣有  餘、則諸瘡痛癢而病於外;三焦火熱之氣不足、則諸厥固洩、諸痿喘嘔、而病於内;以明三 焦之氣遊行於上下、出入於内外也。

 

劉完素と⑦張従正は金元時代の医者です。劉完素は25歳から60歳まで素問の研究を続けて病機十九条を分析し、六気が過ぎれば皆火と化すという「火熱論」を提唱した人です。病のほとんどは火熱によるものだとし、「痛痒瘡瘍はみな心火に属す」と言っています。張従正も寒涼剤を多用した人です。彼の著書『儒門事親』「瘡癮疹一百」で、小児の蕁麻疹や瘡のとき、辛温で発散させる薬(升麻湯)は使うなと言っています。「五寅五申の歳は少陽相火の歳にて、この病を発することが多く、また諸痛痒瘡瘍は皆心火に属すため、辛温之剤で発散させると、熱勢がかえって増し、だんだんと蔵に毒がたまって下血し、ひきつけや痙攣をおこす。白虎加人参湯、凉膈加桔梗当帰湯が良い」と言っています。現在でも蕁麻疹の処方に使われています。⑧呉昆⑨張景岳(介賓⑩李中梓は明代の医者です。三者ともに、熱が甚だしければ痛み、熱が微かならば痒むということと、心は火に属し、火が熱と化して発症するという点は一致しています。張景岳のいう「赫曦之紀は心邪が盛んになり、瘡瘍を病む」とは、戊子、戊午、戊寅、戊申の四年には、火が大過して熱気が流行し、肺も熱を受けて喘咳し、身熱して皮膚痛む、という運気学説です。⑪高世栻(士宗)は清代の医学者です。病機十九条の諸痛癢瘡、皆屬於心の心は誤りとし、「心」を「火」とし、そのひとつ前の条文である諸熱瞀瘛、皆屬於火の「火」を「心」に入れ替えて、諸痛癢瘡は手少陽三焦の火に属すと改めました。痿、痹、喘、嘔などがおこる理由は、三焦の火熱が有餘したために外において病むためであり、反対に三焦の火熱が不足すると、寒、厥、固泄は下焦にて、痿、喘、嘔は内において病むとし、これは三焦の気が上下に遊行し、内外に出入するためであると言っています。

 

『素問』第六十六~七十五篇までの運気七篇は、唐代に素問を整理した王冰が剽窃したとされており、素問の研究者からは素問とは別物として扱われています。『素問訳注』にも省かれていますし、丸山昌朗先生の『素問・鍼経の栞』も同様です。柴崎保三先生の『黄帝内経素問新義解抜粋集』には運気七編も載っていますが、文字量が膨大で通解を読むだけでも大変です。何度も寝落ちして進みませんが、金元四大家や張景岳などの書を理解するのに運気は必要なので少しずつ読んでいます。また、『素問訳注』の第三巻に付録された運気概略には、生気象学としての運気論のしくみが詳しく書かれています。家本誠一先生は、「『素問』、『霊枢』の気象医学は経験的合理性を持ち、その理論的基礎である陰陽四時は日常の経験に合致しており、常識的に納得できる」とし、「運気の気象学説は思弁的観念的であり、五運と六気を基礎として理論的に構築された規格品であり、故に総合的体系的ではあるが、作り物の感は免れない」と述べています。私たち鍼灸師はこの点に注意して物事を見極める必要があるのではないでしょうか。運気学説は五運六気を用いて十干と十二支を組み合わし、気候の変化が自然界と人体に与える影響を説明したものですが、あまり偏ると医療よりも占いの性格が強くなります。とはいえ、『至真要大論篇』に書かれている病機十九条は重要だと思います。今回蕁麻疹の症例を病理考察するにあたり、とても参考になりました。原文を載せておきます。

 

帝曰.願聞病機何如.

岐伯曰.諸風掉眩.皆屬於肝.諸寒收引.皆屬於腎.諸氣膹鬱.皆屬於肺.諸濕腫滿.皆屬於脾.諸熱瞀瘛.皆屬於火.諸痛痒瘡.皆屬於心.諸厥固泄.皆屬於下.諸痿喘嘔.皆屬於上.諸禁鼓慄.如喪神守.皆屬於火.諸痙項強.皆屬於濕.諸逆衝上.皆屬於火.諸脹腹大.皆屬於熱.諸躁狂越.皆屬於火.諸暴強直.皆屬於風.諸病有聲.鼓之如鼓.皆屬於熱.諸病胕腫.疼酸驚駭.皆屬於火.諸轉反戻.水液渾濁.皆屬於熱.諸病水液.澄澈清冷.皆屬於寒.諸嘔吐酸.暴注下迫.皆屬於熱.

 

続く⑫『鍼灸重宝記』で本郷正豊は、「経に曰く、諸痛、痒、瘡瘍は皆心に属す、蓋し心は血を主て、気を行らす、若し、気血凝り滞り、心火の熱を挟んで、癰疽のたぐひを生ず」と言っていますが、この経に曰くとは、正に病機十九条の条文のことを指しています。解説で小野文恵先生は、「心は血を主り血を行らすのであるが、気血の凝滞によって心火の熱を生じてくると癰疽の類を生じる」と述べています。また、「癰、疽、癤、瘡の生ずるのは魚肉や美食をするもの、体が楽すぎて運動不足なもの、色慾を過度して水虚火動等によりて熱毒を生じ、その熱毒が内に攻めて気血を煎りこがして生ずる」と、飲食労倦や房事過多によって腫れ物ができることを言っており、脾虚や腎虚などの陰虚から心の熱になることを説明しています。

 

 以下、レジュメの⑬『経絡治療講話』、⑭『鍼灸臨床弁証論治』、⑮『日本鍼灸医学 臨床篇』における蕁麻疹についての補足は省略しますが、⑬で本間祥白先生は、皮膚は肺が主り、腠理開閉の調節如何によって外邪が侵入することや、痒みは虚で痛みは実であること、血虚によって皮膚を栄しないときに痒みが出ることをのべています。また⑭李世珍先生は蕁麻疹を病理によって6種類の型にわけており、脈状や舌、治療穴を記載しています。風寒による蕁麻疹では脈が沈まずに浮くことが参考になりました。⑮では蕁麻疹を脾虚熱証と脾虚肝実証とし、主に食べものによるものと原因不明によるものとして説明しています。

 

以上でリレー講義の補足を終わります。

 

私見:火熱の原因は食にあり?

腹を冷ます中国人
腹を冷ます中国人

中国では腹を出している人を多く見かけます。それは単に天気が暑いからという理由だけでなく、腹が熱いから冷ましているのだと思います。原因は食生活にありそうです。中国人(漢族)の油の摂取量は日本人より格段に多く、味付けも濃厚です。もちろん地域によって差はあります。福建や広東地方は割りと淡白ですが、和食ほどあっさりはしていません。中国では基本的に火を通したものしか食べないし、炒め物にラードを使います。また食事時に飲む白酒は度数が50度以上もあるので、胃腸には相当に熱が発生するはずです。ましてや、じゃんけんが始まれば一瓶空けてしまう勢いですので、彼らは相当に脾胃が強い民族であることがわかります。だから腹を出して冷ます必要があるのでしょう。

 

一方で、日本人は腹を冷やさないようにと気を使います。腹巻は日本人の胃腸の弱さを象徴する文化と言えるかもしれません。貝原益軒は『養生訓』で、「諸獣の肉は、日本の人、腸胃薄弱なる故に宜しからず、多く食ふべからず」、「肉も菜も大いに切たる物、又、丸ながら煮たるは皆気をふさぎてつかへやすし」と戒めています。また、「中華、朝鮮の人は、脾胃強し。飯多く食し、六畜の肉を多く食つても害なし。日本人は是にことなり、多く穀肉を食すれば、やぶられやすし。是日本人の異国の人より体気よはき故也」と言っていますので、昔から食の習慣によって中国、朝鮮半島の人は熱を持ちやすい傾向にあり、日本人は冷えやすい傾向にあるのだと思います。フーテンの寅さんも、丹下段平も、バカボンのパパも脾胃をしっかりと守っていたわけです。

 

中国では肉の脂身の部分が好まれます。たいてい駅前の食堂に行くと蒸し器から湯気が上がっていて、扣肉(豚の脂身と菜っ葉)が食べられます。とても美味しいのですが、途中からくどくなります。でも周りの中国人はどんぶり飯で平らげてしまうのです。ふと思いついたのですが、日本でも有名な坡肉は11世紀に蘇軾(蘇東)が考案したとされ、中国には蒸留技術も9世紀頃にはあったそうです。火熱論を提唱した劉完素は12世紀の人ですから、その頃には白酒を飲みながら坡肉などを食べて胃腸に熱を持った人が多かった可能性があります。ひょっとしたら当時の中国人も腹を出していたかもしれません。ちなみに蘇軾の故郷、四川省眉山で食べた東坡肘子は忘れられないほど美味しかったです。25年近く経ったけど、また食べに行きたいなと思うほどです。

 

辛い味付けを好む地域(四川・湖南・雲南・貴州等)なら、なおさら体内の熱が旺盛になります。人の声が大きいのも、街中で喧嘩が多いのも納得できます。私は昆明で生活したことがありますが、初めは激辛の米線を食べる人が信じられませんでした。が、だんだんと舌が慣れてしまい、辛くないと物足りなく感じるようになるのです。かといって脾胃は強くないから下痢をする。そういう生活を続けていたら、2年後に痔瘻になってしまいました。東京の病院で手術をしたのですが、そこに偶然にも、私と同じ昆明の学校に1年違いで留学していた人が入院していたのです。彼もまた痔瘻でした。話を聞くと、私と同じように辛さと油っこさのために下痢を繰り返していたそうです。中国の学食では、ホーローのどんぶりにぶっかけ飯(おかず2~3種)でしたが、生徒は歩きながら食べ始めて、自室に戻る頃には半分以上食べ終わっています。その理由は調理にラードを使うので、冷めると油が固まって不味くなるからでした。当然、油の摂取量が多く、脾胃の弱い日本人には向いていませんでした。

 

そう考えると、日本人と中国人では病気の傾向も違うだろうし、鍼の刺激量や薬量も異なって当然です。私たちはその違いを踏まえて中国の書物を読む必要があると思います。

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コメント: 6
  • #1

    山本 (火曜日, 14 10月 2014 00:09)

    高嶋先生、2回に渡り内容の濃い講義補足をありがとう御座います。
    一回読んだだけでは頭に入らないので繰り返し拝読致します。

    中国人と日本人の文化の違いを解りやすく例を出しながらご説明下さり、とても勉強になりました。
    実際にその文化に飛び込まないと、こう言う生の情報は入りませんね。
    自分が想像していたより中国人と日本人の体質が違う事が解りました。

  • #2

    meirindo (火曜日, 14 10月 2014 15:57)

    古典は読むのも大変ですし、難しいですね。でも鍼灸師をしている以上、避けてはならない道だと思うようになりました。幸い、資料が簡単に手に入る時代です。あまり偏ることなく、色々な角度から考えて臨床に活かせるよう、お互い頑張って行きましょう。

  • #3

    山本 (金曜日, 17 10月 2014 15:47)

    ありがとう御座います。
    どんな理論で鍼をするにしても古典と共に発展してきた鍼灸をするのなら古典を読む事は避けられないし、そこが歴史ある医学の強みでもあると私も考えております。
    先人の経験と知識を生かさないと勿体無いですね。

  • #4

    meirindo (土曜日, 18 10月 2014 08:21)

    仰るとおりです。

  • #5

    BOND (月曜日, 03 11月 2014 10:56)

    遅れ馳せながら別府セミナーでのリレー講義、お疲れ様でした。
    また、リレー講義の補足もありがとうございました。
    当日は時間が足らず、駆け足だったことがとても残念でした。
    講義~実技~まとめ…が流れるように出来ていれば、最後のオチが
    効果的だったと思うのですが…まぁ致し方ないですね(個人的にあの
    オチは秀逸だったと思います)。

    当方、寅さんやバカボンのパパらに負けず劣らず腹巻愛用者です。
    やはり冷え対策は必要不可欠だと再確認しました。
    そういえば、ブルース・リー主演映画『ドラゴン怒りの鉄拳』で、
    中国人になりすまし道場に忍び込んでいた日本人。腹巻をしている
    姿を見られてスパイだということがバレましたね。
    中国において〝腹巻=日本人〟の捉え方は、一般的なのでしょうか?

  • #6

    meirindo (火曜日, 04 11月 2014 15:08)

    本当は症例を中心に講義するべきでしたが、蕁麻疹について古典ではどのように考えられてきたかという話が長くなってしまいました。駆け足になってしまったのは自分の勉強不足です。今回の症例は「七情の乱れが五蔵に影響を及ぼして発症した蕁麻疹」であり、心の熱が肺をあぶって皮膚に症状が出たと解釈したわけですが、もっと病理をわかりやすく説明しなくてはなりませんでした。治療後、心包経上に膨疹と熱が移動したのをみて、心包絡は圧力釜についている調整弁のような働きをするのではないかと感じましたが、以前飛行機の中で治療した患者は厥冷状態で、労宮の刺鍼で意識が戻ったので、心包経は寒熱のどちらの場合も気血を導く役割をするのだと思います。

    あのオチは・・・馬王堆医書から黄帝内経へと続く漢代の歴史ロマンですね。

    中国で腹巻について聞かれたことはありませんので一般的ではないと思います。まあ今では日本でも、寅さんのような格好の人を見かけなくなりましたね。

網上にある鍼灸院です
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