第42回 日本伝統鍼灸学会 香川大会1

2014年10月25~26日の2日間、香川県宇多津のユープラザうたづにて第42回日本伝統鍼灸学会香川大会が開催されました。今回のテーマは「日本伝統鍼灸における灸療法の意義」で、灸についての基本的な講義や、歴史的な考察、灸を主に用いた症例報告、ベテランの先生方による灸の実技など、たっぷりと灸について学ぶことができました。

会場にて
会場にて

最初に鈴木幸次郎先生による「手際の良い艾炷の作り方と熱くない灸のすえ方」を受講した。患者さんの体質や病の状態、または環境によって灸を使い分けられるようにしておくためのポイントとして、直接灸は散艾を小さく(米粒8mm・半米粒5mm)持ち、力を入れずにリズム良く示指と母指を往復させて、橈側先端部でよりだすことや、灸熱を緩和させるために8分から9分燃えたところで(すえ手の)母指と示指で押し開くように圧したり、部位によっては皮膚を揺らすようにする。火加減を見ながら空気の量を調整する場合は指が熱くなっても離してはいけないことや、右手で先端をひねる「すえ手捻り」は付着部がよられていないので補の灸になることなど、心地よく灸をすえるための技術を学ぶことが出来た。また艾の保管は空気の通うところで行うのが大切で、ジップロックなどで密閉させてはならない。鈴木先生は桐箱に入れているが、和紙や新聞紙に包んで保管するのも良いそうだ。最後に学生から「手に艾がくっついてしまう」との質問に対し、「手汗は精神性の発汗であり、とにかく沢山すえる(経験を積む)こと。透熱灸をする際は高級もぐさを使い、やさしくより出し、軽くすえられるように練習をすること」が大切で、「アルミの弁当箱の上にティッシュを2枚敷き、2枚目が焼けないようにすえる練習をするのがよい」と答えられていた。


手塚幸忠先生による「灸の種類とその効果」では、鍼と灸の使い分けについて曖昧な先生が多いことを指摘され、灸がどのような場合に適応するのかを、古典の記載を挙げて説明された。『霊枢・経脈篇』には「陥下則灸之」(陥下していればこれに灸をする)とあり、これを張景岳は「陥下則灸之、陽氣内衰、脉不起也」(陽気が内で衰えて、経脈が起きれなくなった)と解説している。同じく『霊枢・禁服』に「陥下者、脉血結于中、中有著血、血寒、故宜灸之」(陥下するとは脈血が中でうっ血し、中で血が付着したり、血が寒えたりすることによるので、このような場合にはこれに灸をするのがよい)とある。そして『本草鋼目・艾』には「純陽也。可以取太陽真火、可以回垂絶元陽」(艾は純陽で、太陽の真火を取ることができ、絶えようとする元陽を回復することができる)とあり、『霊枢・刺節真邪』には厥が足にあるときは鍼を用いてはならず、宗気が下らず脈中の血が凝って留まり止っているときは、火でこれを整える(宗氣不下、脉中之血、凝而留止、弗之火整、弗能取之)とある。これらの記載から、火熱を用いる灸には陽気を補う効果があり、血が寒えて固まって滞ってしまった場合に効果を発揮することがわかる。形態としては、ひどく虚して陥下している穴に向いている。また養生の灸として『千金方』に、「体の上に常に2~3ヶ所、灸をしておくことが必要で、灸の痕を治してはならない。そうしておけば瘴癘、温瘧、毒気は人に付くことができない」(体上常須三両処灸之、勿令瘡暫差、則瘴癘温瘧毒気不能著人也)とあり、灸は病気の予防にも効果的である。まとめとして灸には、気を補う・冷えに効く・養生に良いという特徴がある。

 

透熱灸・知熱灸・灸頭鍼の使い分けについては、透熱灸は補に向き、陥下している所(経穴)に気を集める。虚した背部兪穴や三陰交などによい。寫法は誘導として使い、腫れた患部の周囲や子宮筋腫(治療回数が必要)などによい。知熱灸には底面が円錐形の井上式(根本先生が考案)と、三角錐に作る小野(文恵)式が一般的で、透熱灸の八分灸も知熱灸と考えることができる。補法にはゆっくり燃えたほうがよく、硬くしてすえる。寫法は速く燃えたほうがよい。やわらかくすえるほうが熱いので寫法となる。陽実の部位(炎症や腫脹)は寫法として使い、腰痛、腹痛、下痢などには補法としての知熱灸が適している。灸頭鍼は笹川智興先生が考案し、赤羽幸兵衛先生が広めたもので、冷えによる症状、筋肉の引きつれ、深部の頑固なコリ、腹部瘀血などによい。輻射熱によって骨盤内を温めることができ、「関元・気海に行うと背中まで温かくなり、八膠穴に行うと大腿前部まで温まる」と手塚先生は述べられた。また先生は当日、原文と解説が書かれたレジュメを配られた。これは学ぶ者にとって非常にありがたいことだ。引用された原文や、その前後の文章を読んで復習することができるからである。最近の学会や講習会では著作権の問題から録音や撮影ができず、パワポでスイスイ講演が進むのでメモすら間に合わないことが多い。参加者の立場を考えた計らいだったと思う。

 

 宮川浩也先生の「江戸期の灸療法」では、江戸時代にはそれまでの伝統的な灸法と、後藤艮山によって儒学思想である「仁」を取り入れた灸法の流れがあったことを講演された。仁とは思いやり、慈しみのこころであり、艮山は「医者の本分は身なりではなく誠実な治療である」として、僧衣剃髪に迎合せずに縫腋束髪にもどし、それまで艾炷が大きくて強刺激だった伝統的な灸(大艾炷少壮灸法)を、患者が熱さに耐えられるように小さく(小艾炷多壮灸法)した。また、「医者は治療を商売にしてはならない」と主張し、栽培された本物のモグサ(当時は偽物のモグサが横行していた)を使うよう奨励したという。興味深かったのは、治療は「痛を以って輸と為す」を大原則として、蔵府説・陰陽五行説・運気説などの理論を退け、正当な理論、合理的な効果を目指していたという点である。ということは、当時は理論を振りかざして悪化させる医者や、鍼灸治療と称して金儲けに走る者が多かったということだろう。艮山はそういう現状を憂いて誠実で実直な治療を目指したのではないだろうか。皮膚の接地面をななめにして、少しでも熱くないように灸をすえたというところに、彼の思いやりを感じる。

 

古代の灸には発と膿がかかせなかったという。発とは膿を乾燥させないことで、『資生経』には「死ぬまで足三里と丹田は乾燥させない」とあり、『甲乙経』には「発を望むなら靴底でこする」という記述があるそうだ。また『太平経恵方』には「施灸して1年を経ても治らないのは膿ませないからである」とあり、膿ませ続けておくことが健康維持に必要とされていたと宮川先生は述べた。灸本来の姿がどういうものであったか、またどのようにして日本式の点灸になっていったかを知ることのできる貴重な講演だった。


光澤 弘(ひろむ)先生の「歴史からみる日本の灸の特徴」では、平家物語の橋合戦で負傷した浄妙坊が矢傷(鎧に63本の矢を受けて、5本が体に刺さった)を灸で焼いて応急処置をしたというエピソードを話され、平安時代には軍陣医学として灸があったことや、6世紀に百済から仏教とともに鍼灸が伝来し、神への信仰と仏教の融合によって日本の文化が形成されてきたことなどを紹介された。553年に百済へ使者を遣わし、医・暦・易博士・薬物などの送付を求め、642年(645年?)には新羅に留学していた紀河辺幾男麿が帰国して鍼博士になったという。神とは祟るものであり、祭るにあたり「穢れ」が嫌われたことから、「灸治の者は忌むので祭りや神事に従わない(771年『群書類従』)とされたという。先の宮川先生の講演から推測すると、おそらく打膿灸によって流れ出る膿みや臭いが「穢れ」とされたのだろう。ところが『續群書類従』の「觸穢問答」によると、3ヶ所までは灸をしてもいいけど、4ヵ所以上は神行に差支えがありますよという「妥協案」になっていることから、当時の人々の間で灸治療(いわゆる大艾炷少壮灸法)がいかに盛んであったか想像できる。一方で「弘法の灸」をはじめとして仏教と灸の結びつきは強く、現在でも土用の丑の日には全国各地の寺で「ほうろく灸」が行なわれていることを話された。また、若き日の光澤先生(20年前?)が自ら体験した富山県の瑞龍寺の「ひとつやいと」の動画や、各地の灸にまつわるグッズなどを紹介され、お灸がいかに日本人の保健に寄与してきたかを知ることができた。最後に光澤先生は、「1981年に1000人だった100歳以上は、今や6万人になった。健やかな高齢者が増えれば医療費が減り、介護者の経費削減にもつながる。お灸の普及は活力のある国づくりに貢献する。日本灸国が日本救国につながると思う」と述べて講演を終えられた。鍼灸師としての自覚を促される、そして前向きな気持ちになる講演だった。


今学会は学ぶべきところが多く、メモも膨大な量となりました。続きは次回にレポートします。


コメントをお書きください

コメント: 2
  • #1

    yamamoto (火曜日, 25 11月 2014 12:51)

    何時もながらの詳細なレポートをありがとう御座います。
    今回のレポートで学校で教わった事で長年疑問に思っていた事が、やはりそうだったかと思う事が御座いました。
    鍼灸師たる者、家に籠って本を読んでいるだけでは駄目で、やはり学会や勉強会に積極的に参加し沢山の先生方から教わらなくてはならないと、当たり前の事を再自覚致しました。

  • #2

    meirindo (水曜日, 26 11月 2014 08:06)

    今学会は内容の充実した素晴らしいものでした。
    ただ、2つのプログラムが同時進行するので、どちらか片方の講演しか聴けないというのが残念でした。仕方ありませんが。

    田舎からだと3泊4日の行程になるので、学会に参加するのも気合が入りました。

網上にある鍼灸院です
網上にある鍼灸院です