弦躋塾リレー講義・補足2

本の紹介

 

今回の講義で中国の許躍遠(许跃远)先生による『中華脈神』の紹介をしました。現代解剖学や生理学の立場と古典の両方から脈診を研究されている良書だと思います。この先生の考え方は、頭・頚・胸・上肢及びその所属器官は、血液の供給を大動脈弓の第一分枝から受け、寸の部位に感応するとし、その中でも頭部の脈象の状況は寸脈の遠心端に、頚部の状況は寸脈の中部に、胸腔とそこにある臓器は寸脈に状況が現れるとします。同じく人体の中腹部臓器、すなわち肝・胆・すい臓・脾・胃・両側腎臓・副腎・腸管(右結腸曲・空腸・回腸・腸間膜)などは腹腔動脈からの分枝により関脈に反応が現れ、肝・胆・脾胃の脈象は関脈の遠心端に、腎・膵腺・腸などの脈気は関脈の近心端に現れる。そして骨盤内臓器や下肢などの血液は内外の腸骨動脈から供給され、膀胱・前立腺・尿管・子宮・左結腸曲及び直腸・両下肢などは尺脈に反応が現れる。脈圧も上下では一様ではなく、大動脈弓が最も高く、次が中腹部で、腸骨動脈はやや弱くなり、寸・関・尺の脈圧と相応すると考えます。今回のリレー講義用に一部翻訳したので以下に記します。

 

「左脳に梗塞や炎症など病変が出現したとき、左寸の脈力は増強する。右脳ならば右寸が強くなる。ためしに片側の頚動脈を圧迫すると、同側の脈力が増強するはずだ。なぜなら心臓の拍動する力は変わらないため、上肢の動脈内圧が高まって脈が強くなるからである。反対に寸の脈が弱い場合は、心臓疾患の除外を前提にすれば、同側の脳組織への血液供給不足、あるいは循環血液の不足である。同じく関上の脈は中腹部器官、主として消化系統の脈気が現れる。解剖学上、この部分の臓器には動静脈が短粗で血流が速く、下に降りるにつれて動脈内の圧力は低くなるという特徴がある。関脈に弦・緊が出現するときは、微循環が滞り、大動脈弓及び分枝の脈圧も高くなっている。臨床上、肝火旺盛病の患者の血圧が高いのはこのような理由によるものである。事実、そのような患者は血圧が不安定になっているだけで必ずしも高血圧病ではなく、臨床上は中焦をわずかに瀉せば血圧はすぐに落ち着くものだ。人体の遠端臓器、中腹部器官は血圧の作用に調節され、相対する寸脈、関脈の血液運行にも大きな影響を与える。このような現象も脈象を研究する着眼点になる。」

 

このように許先生の脈診は古典の解釈と現代医学をミックスしており、とても興味深いです。脈状についても詳しく説明されており、たとえば浮脈ならば、なぜ浮くのかという病理・解剖、その特徴(浮脈の感触は、労働者の前腕部の怒張した静脈に触れた感じ、緊脈は切れたばかりのヤモリの尾、散脈はチューブから出した歯磨き粉を押さえた感触など、チャイナ風の表現が満載)、浮脈の現代的臨床意義、浮脈の鑑別、脈の特徴を覚えるための歌(脈訣)なども載っています。まだ翻訳されていないのが残念ですが、許先生は中国では非常に知名度の高い先生であり、本書は脈診を学ぶ方の参考になるでしょう。

 

 


 

『心の治癒力』はチベット仏教とチベット医学の教えを用いて、主に瞑想によって己の内面をコントロールし、自分自身を癒す方法が書かれた本です。宗教臭さがなく、誰もが読みやすく書かれていると思います。私はこの書のお陰で過去への執着、劣等感、嫉妬心などから逃れることが出来ました。いつも実践するのは簡単ではないけど、座右の書として手元に置いています。『北米東洋医学誌』の58号にこの本の紹介を載せてあるので、興味のある方はそちらも読んで下さい。

 

『図解黄帝内経全集』は時間の都合で紹介できませんでした。豊富な図や表を用いて、運気論まで含めた素問・霊枢をわかりやすく解説した本です(ただし中国語)。昼休みに質問に来ていただいた先生方には話したのですが、経済発展に伴い、最近は中医学も進化を続けています。80年代や90年代の中国とは比べ物にならぬほど書物も豊富です。我々はこれを利用するべきです。当然、中医学を実践している人と患者の数が膨大であり、中国人民の頭の中には常識として瘀血、痰飲、疏泄、陰虚、陽虚、天人合一などの概念が入っています。本当は浦山きか先生が言われるように、古典は学生の頃から原文で読むべきというのが理想的かもしれません。首藤先生も「原文を読むほうが解説本よりも身に付く」といっています。しかし何も知らない者がいきなり漢字(それも古代文)の羅列に立ち向かえば、よほどのオタクでない限り飽きて眠くなるのが当然です。それよりも先に全体像を把握し、広く浅く知るということも大切だと思います。何しろ、日本の新卒鍼灸師よりも、中国の一般人のほうがはるかに東洋医学の知識を持っているのが現実です。この本は専門書ではなく一般向けですが、日本の鍼灸師がこのような本を読んだら、「えっ、中国の人にはこんなに古典医学の思想が根付いているのか」と驚くはずです。

 

そして、できれば中国に飛んで、新華書店などに行くことをお勧めします。毎回といっていいほど良い本が見つかるものです。それに安い。この本だって797ページもあって68元(1000円ちょっと)です。もちろん古典の専門書だって安く手に入ります。素問や霊枢の校釈、太素、甲乙経をはじめ、日本では知られていない様々な先生の治療法や臨床録などが並んでいます(変なのもあるけど...)。今ならLCC航空券を使えば格安で中国に行けます。20年前だったらビザ代に加えて10倍以上の交通費がかかったうえ、旅は不便で服務員の態度も悪く、どこに行っても「没有!」ばかりでした。良い時代になりました。

 

そうやって古典世界の概要を知った上で、家本誠一先生の『素問訳注』『霊枢訳注』などを読めば横のつながりも分かりやすくなるし、古典が楽しくなったら日本内経学会から出ている『素問』や『霊枢』などに進めばいいと思います。その時は浦山きか先生の『漢文で読む霊枢』で勉強法を学ぶ事ができます。そのように段階を踏めば古典に挫折しないで済むのではないでしょうか。たとえば高尾山には誰でも登れるけれども、素人が北岳バットレスに行ったら死にます。そうならないように、まずは登山の経験を積んで北アルプスなどを楽しみ、さらに興味があれば日和田山などで岩登りを講習してからクライミングに向かえばいいのです。とはいえ、そういう私も岩登り教室から先へ進まない状況が続いています。頭が悪いのか、古典を学ぶ才能が無いのか。たぶん、どっちもです。

 


 

『養生訓』は江戸時代の儒学者である貝原益軒が83歳のときに著した「養生の書」です。自らが長生きできた秘訣や、健康を損なう物を排除することの大切さが書かれています。一言でいえば、欲望を我慢して感情的にならないことです。「養生の道を実行することは、ただ飲食を少なくし、病気を助長するものを食べず、色欲を慎み、精気をもらさず、怒り・悲しみ・憂い・思いなどの感情に激しないことである」と益軒は述べています。身体を損なうものは内から生ずる飲食の欲、好色の欲、眠りの欲、言語をほしいままにする欲、喜・怒・憂・思・悲・恐・驚の七情と、外からやってくる邪気である風・寒・暑・湿の天の四気(日本の気候ゆえか、燥は入っていない)であり、これらを防ぐことができれば、たえず元気はつらつとして、天寿を全うすることができるというのです。

 

この本の魅力は、分かりやすい文章で書かれていることと、日常生活上のちょっとした注意による「養生の実践法」が書かれていることです。寝る前に熱い茶に塩を入れてうがいをすると口中を清潔に保ち歯を堅固にするが、「茶は番茶で十分」とか、「40歳以上は、用事が無かったら目をつむっておけ」とか、読んでいると益軒のストイックな人柄が伺えます。「孫思邈が養生の祖であり、養生法も治療法も『千金方』を本にすべきである」とあり、儒学者の益軒が老荘思想を好んだ孫思邈を評価している点も興味深いです。とにかく欲を慎めと繰り返し述べています。彼がもし現代に生きていたら、今の日本人は不養生でけしからんと嘆くことでしょう。一節が短いので、遠野物語を読んでいるような趣もあります。鍼の話は2つだけですが、灸の話は結構あります。さらに巻末の原文を読めば、気分は江戸時代にワープできます。ポケットやかばんに入れて、通勤や通学の際にチョット読みできます。

 

『首藤傳明症例集』については、ここで取り上げるまでもないですが、首藤三部作の最新刊であり、50年の臨床から導きだされた治療法が満載された本です。当サイト、〔私の師匠〕タブから、右横にある〔著作の紹介〕でも、首藤先生の本やDVDについて紹介しています。

 

ジャンルを超える

 

鍼灸の流儀に限らず、ジャンルの違う治療法でも、人間の体を診るという点は同じです。運動器疾患はそれが著明です。たとえば頭痛や肩こりなどで後頭部にアプローチする場合、経絡治療ならば天柱や上天柱・風池・柳谷風池・完骨などを、トリガーポイント(TP)なら半棘筋や板状筋、後頭下筋群を狙い、オステオパシーなら項靭帯をゆるめて後頭環椎間をリリースします。同じく腰へのアプローチならば、TPなら多裂筋・腸肋筋・最長筋・大腰筋・腰方形筋、あるいは小・中臀筋の責任TPを探し、オステならば仙腸関節や腰仙関節をゆるめ、経絡治療ならば大腸兪・腸骨点・上仙・志室・殿圧・殿頂といったツボに刺鍼します。スタイルは違えども、狙いはだいたい同じ場所です。但しそれぞれの解釈には相違があるため、自分の中で都合の良いように咀嚼することが大切です。その際、リスクは回避すべきです。たとえば黒岩共一先生の書いたTPの本には後頭下筋群にアプローチするには50ミリの刺鍼が必要と書いてありますが、それはあくまでも指標であり、体格や体型によって差異があるのは当然のことです。それを考えずに刺鍼をすると事故が発生する恐れがあります。先月、福岡で行われた全日本鍼灸学会のポスター発表に「天柱・風池に5センチ近く刺入して硬膜下血腫を起こしたと思われる例」というのがありましたが、正にそういうケースです。東京時代、日鍼会の伊集院先生からも深鍼による事故が増加していると聞いたことがあります。気胸なども含め、刺鍼事故が起きれば鍼灸師としての信用を一気に失うことになるばかりでなく、鍼灸治療全体の評判も悪くなります。臨床家は細心の注意を払うべきです。リスクのある深い刺鍼をするならば、ちょっと本をかじっただけでなく、しっかりと勉強会に参加して学ぶべきです。黒岩先生の主催する「トリ研」は、深鍼をする人や、解剖学的に人体を把握したい人にとって最良の研修会となるでしょう。

 

経絡治療をしている者は刺激に敏感になっていく傾向があります。ある経絡治療の研修会に参加したら、異常と思えるほど神経質な人たちがいて驚いたことがあります。集団ヒステリーに近いと感じました。その反対にTPにはドーゼという発想が無く、責任トリガーポイントに当たるまでは何度も刺鍼を繰り返すべきと考えます。鍼は太くて、置鍼する本数も多い。私はTP研究会の帰りに、鍼を刺された腰が痛くて足を引きずったことがありました。あまり局所に照準を合わせすぎると、相手は人間ではなく筋肉だと勘違いする恐れが生じるのではないでしょうか。そういう意味からも、五蔵のもつ精神性を念頭に置いて治療にあたることが大切だと思います。一方で、古典派の治療家は衛生面の配慮に欠けている場合が多いです。何度も使いまわしたような鍼を消毒もせずに刺したり、口にくわえたりするのを見るとゾッとするし、そういう鍼を膝や肩などの関節包に刺入するのは問題外です。

 

我々は安全で効果的な方法を追求するべきで、それは「患者さんにとって一番の利益」になるはずです。古典系の勉強会に参加すると、古典を絶対視していて、まるで原理主義者のような人たちがいます。古典に書いてあることを無理やり人体に押しつけようとする傾向があり、「体を冷やすから消毒はダメだ」とか、「飲み薬はすべて湿邪になる」などとベテランの先生が平気で言うのです。そのような会に出入りしている学生は「古典脳」にかかりやすく、西洋医学を軽視するようになる恐れがあります。『首藤傳明症例集』のp153、「治療とは古典のためではない。病を治すための古典理解・利用であって、西洋医学からの疾病理解も必要である」の通りだと思います。

 

私は経絡治療もトリガーポイントも中医学も、あるいはオステオパシーなど鍼灸以外のテクニックでも、使える部分を吸収して自分のものにすればいいと考えています。目的は患者さんを治せるようになることであって、流儀や流派などにこだわる必要もない。首藤先生だって若い頃から色々と試されて、「効果があったものが残った」と言われているし、そういう積み重ねをした結果、優れた臨床家となったのであり、我々はそういう過程をも学ぶべきではないでしょうか。

筋の弾力を診る
筋の弾力を診る

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コメント: 10
  • #1

    山本 (月曜日, 22 7月 2013 23:17)

    講義補足1、2とありがとう御座います。
    大阪でして頂いた講義とリレー講義の理解を深めるのにとても参考になります。

    中庸を目指すべきだと言う所、相手が人間であるのを忘れてはならないと言う所、私も治療家にとってとても大事な所だと思います。

    中国に勉強で行った事のない私にとって、如何に中国がレベルが高いかと言う事は良い刺激となりました。
    また中国にそんなに安くで行けるのも衝撃です。
    これは勉強会のメンバーと一緒に行かないといけませんね。
    そう言えば昼休みに高嶋先生に質問に来られた方だと思いますが喫煙所で、この話をされていました。

    補足1で書かれていた脈だけにとらわれていてはいけないと言う所も全く同感です。
    脈に偏っている経絡治療家の治療を受けて経絡治療は効かないと思っている方が沢山います。私はそんな方々から経絡治療の批判をここ数年聞き続けており、自分も一から見直しましたが、実体験から私はやはり本治は大事だと言う結論に至りました。
    自分の治療法を肯定する為や自分の僅かな経験で他を批判する事は残念な事と思います。

  • #2

    BOND (火曜日, 23 7月 2013 19:30)

    これは凄い。この内容は補足に非ず…先の講座と何ら遜色のないほど
    立派なものです。 鍼灸医学に懸ける意気込みが伝わってきます。
    さすが…スーツを新調して臨んだだけのことはありますね(笑)。
    2回目のリレー講義を担当される日が楽しみになりました~。

  • #3

    高嶋 (水曜日, 24 7月 2013 15:12)

    山本先生

    批判する人はさせておけばいい。構うことありません。結局、患者さんにとったら治ればいいわけですから。経絡治療だろうが中医学だろうがTPだろうが関係ない。それは術者が流派やスタイルにこだわっているだけです。「俺は和食しか食べない。中華なんて食えるか、あんな油っこいもの。洋食なんて絶対に認めない!」なんて言っているのと同じことです。食べてみれば、それぞれの美味しさに気がつくし、あらためて和食の優れた点だってわかる。だから色々と試して自分に合った治療法を取り込んでいけばいいだけの話です。自分に合わない治療法を批判する必要もない。それはピーマンが嫌いだから「まずい」って主張しているようなものです。でも世の中にはピーマンを美味しいと思う人も沢山いる。治療法だって、案外と食わず嫌いの人が多いのかもしれませんね。

    それから、経絡治療というジャンル自体が非常に曖昧なので、批判する対象にすらならないと思います。経絡治療学会、東はり、弦躋塾、東方会、古典鍼灸研究会、漢方鍼医会、紘鍼会etc. は経絡治療系の会ですが、考え方やスタイルは皆違いますから。それは中医学系の団体だって同じことでしょう。TPだって長野式だってそれぞれに特徴があるけど、患者さんを治しているという点は一緒です。それに、患者さんにだって色々な考え方の人がいます。現代医学的な鍼灸治療を求める人もいれば、東洋医学が好きな人もいる。手駒は多く持っていたほうがいいです。山本さんが脈の変化を診て「本治法は大事だ」と感じたなら、その道を追求すればいいし、刺絡と合わせて使えると思えばミックスさせればいい。それが山本さん独自の治療法になっていくのではないでしょうか。

    また、日本の鍼灸師は中国に対しても型にはまった見方をしている人が多いように感じます。中医学の教科書どおりに治療をしているのだろうと思ったら大間違いです。中国の病院に見学に行くと、医師によって全然違った針をしていることがわかります。それに時代の潮流がとにかく速い。昔、雲南に住んでいたことのある私も、ここ10年の中国の発展スピードには驚くばかりです。別の国みたいだと感じることがあります。共産党じゃなかったら凄まじい国(いろんな意味で)になっていたでしょう。まあ、頭で考えるよりも、実際に中国に行って見てくるといいですよ。

  • #4

    高嶋 (水曜日, 24 7月 2013 15:15)

    BONDさん

    ありがとうございます。
    補足も全力で書きました。皆さんの参考になれば幸いです。

  • #5

    稲村章子 (木曜日, 25 7月 2013 00:12)

    当日はありがとうございました。また補足もまとめていただき当日追いつけなかったところを改めて読み返すことが出来るのでとてもありがたいです。

    先生が伝えたいという熱気がとても伝わってきて時間があっという間でした。紹介していただいた本、『中華脈神』と『図解黄帝内経全集』は中国語なのでなかなか手が出にくいかもしれませんが、内容はとても興味深そうですね。中国の一般人の方が東洋医学の知識を持っているのは暢気に聞こえますが、羨ましいやら何やらです。年末年始の雲南旅行からの帰り、南京空港でトランジットだったのですが、地下の小さな待ち合いにあったキオスクみたいな小さな本売り場にも黄帝内経が置いてありちょっとびっくりしました。こんなところで買う人もいるんだなと思いましたが何か感動しました。ちなみに町中に鍼をしているところもあったのですが、言葉の壁と日本人ということでちょっと躊躇してしまいました。やっぱり中国語は出来た方が良いですね。以前参加した中医学の勉強会でも会話は出来なくても読み方が分かるようになったら値段も安いしもの凄く得だと言われました。同じ漢字文化圏に生まれた特権だと思います。生かさない手はないですね。

     経絡治療についてですが、脈診はまだぼんやりとしています。先生の仰られるように経験は急げないので、こつこつ続けます。またそれを補えるように望聞問もうまく出来るよう勉強したいと思います。勉強と言えば、他の手技療法や易など気になっていることはたくさんあるのですが、ジャンルにとらわれずに取捨選択を躊躇しないことが大事なのかなと思いました。またその点は自分の疑問と目的をはっきりさせていたら大丈夫かなと思います。
     ところで話は変わりますが、実技の時に腰痛の患者さんの側臥位への体位変換のズボンのテクニック、同じような場面があったので早速やってみたら患者さんがきょとんとした顔をしながらも「こうやって動かしてもらうと楽やわぁ」と言うてはりました。ちょっとしたことですが凄い裏技を教えてもらった気分です。ありがとうございました。
     最後に私はこれから開業していく身なのですが、首藤先生の講義も高嶋先生の講義も具体的なメッセージを凄く感じて本当に参加して良かったなと思います。願わくば今回登板しきれなかった骨格模型と頭蓋骨模型に最登場してもらい、割愛された「筋と骨の動き」や頭痛治療のデモなども改めて講義をしていただく機会がありましたらとても嬉しいです。
    長くなりすみません。もしまた何かの機会に大阪にお超しになられた時はお会い出来ることを楽しみにしております。ありがとうございました。

     (最後にと書きつつ往生際が悪いのですが、少数民族の写真は何度見てもやっぱり迫力があってかっこいいです!!佇まいが絵になりますね。見ていて元気になります。ありがとうございました)

     

  • #6

    高嶋 (木曜日, 25 7月 2013 09:51)

    稲村先生

    中国では街中の新聞スタンドのような所にも黄帝内経関連の本が置いてあったりしますね。一昨年も、雲南の田舎バス駅の売店で、「黄帝内経の養生法」なんていう雑誌を見かけました。それくらい中国人にとっては古典があたりまえの存在だし、日常生活にも生かされているのでしょう。

    昔、私が昆明に留学していた頃、風邪をひいて咳が出ていたんです。そうしたら招待所の掃除のおばさんに、「鶏肉は食べるな」とか、「焼豆腐(雲南名物)は食べるな」とか注意をされた。どっちも「上火」になるからだと。特に焼いたり燻したりした食品は熱が上がって咳を悪化させるから駄目だと言うんです。確かに火の性質のものが「熱が上に行く」というのは納得できたけど、なんで鶏肉が駄目なのかは不思議でした。

    後年、鍼灸師になって、食材も五行に分類されることを知りました。鶏肉は木の性質をもっている。『素問』の蔵気法時論篇あたりを読んでいると、「肺は気の上逆に苦しむから、急に苦を食して之を泄せ」という記述が出てくるのですが、作用としては苦味も酸味も収斂という点は同じです。では、なんでおばさんは木の鶏肉が駄目だと言ったのかというと、おそらく「火の母である木を補えば、火はますます盛んとなって金を克してしまう」からなのだと思いました。今思えば、大して仕事もせずに編み物ばかりしていた服務員のおばさんの頭の中にも、相生・相克の理論が備わっていたということに驚かされます。まあ、もっと言えば、「普段から辛いものばかり食べている雲南人が何言ってるんだ」というツッコミを20数年後に入れたい気持ちです。

    他にも、日本では当たり前の「豚肉のしょうが焼き」も、中国では痰濁が発生する組み合わせなので存在しません。食堂で作ってくれるように頼んでも、「不好吃!」と言われてしまいます。あんなに美味しいのにね。それに、当時の中国は男女ともに痰を吐きまくっていたし、「豚のしょうが焼きを食べている日本人のほうがよっぽど痰が発生してないじゃないか」と思っていました。道路で前を歩く人が振り向きざまに「カーッ、ペッ」とやるので何度危険な目に遭ったことか。おかげでフットワークが軽くなりました。

    勉強は、最初は広く浅くやって、その中で自分にあったものを深めていけばいいと思います。やる前から決めつけたり、他人の評価に惑わされないことです。

    ズボンのテクニックは、首藤先生が脳卒中の患者さんの体位変換をするときに編み出した方法だそうです。私も見学をしたときに覚えました。

    今回弦躋塾に参加されて、得るものがあって良かったですね。開業前に首藤先生の講義が聞けたということがラッキーですし、私の拙い講義からメッセージを感じてくれたのならば、演者として幸いです。骨格模型と頭蓋骨模型は運ぶのが面倒なので、今後の登場は不明ですが。少数民族の写真や話は、次回大阪に行ったときにたっぷりと聞いてもらいます。いやホント、今となってはそれくらい貴重になりました。20年前に電気も無く、川に水を汲みに行っていた人達が、今やケータイやipadを持っていますので。もはやあの頃の写真は伝説です。

    最後に、もし中国に行っても、町中で針なんか受けちゃだめですよ。安全性という点で信用できません。省か市クラスの病院ならわかるけど、怪しいのもいっぱいありますから。用心してください。

  • #7

    長谷川 (金曜日, 26 7月 2013 18:31)

    高嶋先生

    勉強会当日は本当にありがとうございました。丁寧な補足説明もありがとうございます。こうして文章に残していただけると、いつでも振り返ることができ、理解がより深まるように思います。

    当日の講義でおっしゃっていた「全力で治療している」に続き、補足も「全力で書きました」とコメントされていますが、先生の熱意とエネルギーが文章から溢れ出ており、ひしひしと伝わってきます。同時に、その内容と文章力に脱帽しています。

    脈診はまだまだ分かっていない私ですが、分からないと言う前に、分かろうとすることが大切なのだと先生からも教わっているように感じます。また、脈診に限らず、あらゆる情報から患者さんを理解しようとすれば良いのだと気づかせていただいています。脈診に不安のある私には本当に心強いアドバイスです。

    補足2の中にある「目的は患者さんを治せるようになることであって流儀や流派にこだわる必要はない」というお言葉に私も全く同感です。
    要は患者さんを治すことが目的。そのための手段に拘り、目的を見失うことは本当にナンセンスで、自分も患者さんも苦しめるだけだと思います。決め付けることなく、できるだけ素直に、様々なものにトライし、自分で良いと感じたものを自分のものとして残していきたいと思います。すぐに目先のことに囚われがちな私だからこそ忘れないでいたいことです。苦笑。

    補足2の最後の一節がとても印象に残りました。
    諸行無常ではありませんが、どんなことも変化していくもの。けれど、大切なことは大切なことであり、その時に体験したことも決して変わらない。
    私にも多くの恩人がいます。その方々との関係は時を経て変わることがあります。けれど、恩人であることは生涯変わらないのだと改めて確認させていただきました。

    先生を通して、大切なことは何なのかを見せていただいています。
    できない言い訳をする前に、自分にできることをする。
    あまり肩に力を入れすぎないように気をつけながら、日々目の前のことに向き合っていきたいと思います。
    またお会いできる日を楽しみにしています。
    その時「ますますいい顔になった」と言われることを目標に頑張ります!

    追伸:当日の中国の少数民族の写真、とても良かったです。

    追伸2:こうしてオープンのコメントを入れるのは緊張しますね。

  • #8

    高嶋 (土曜日, 27 7月 2013 22:20)

    長谷川先生

    もし、脈診以外の情報が全く無かったら、脈を診るのはぐっと難しくなると思います。確かに脈差だけで、「肝が虚している」ということぐらいはわかるけど、だからといって曲泉に鍼をすればいいというものでもない。一流の先生方は、おそらく患者が治療室に入ってきた時点で体型や身体の動き、色つや、目や顔の表情から大体の体質やタイプを見抜いているはずです。首藤先生も池田先生もそうだと思います。その時点で証を決めるコンパスがある方向にグッと傾きだすのです。つまり望診には、証の方向性を決める重要な要素が含まれていることになります。『史記』の扁鵲倉公列伝を読むと、扁鵲は脈診よりも、ほとんどが望診によるエピソードです。中医学の教科書にも「人の精神状態・顔の色つや・肉体の強弱・舌象変化など重要な生命情報は、主に視覚によって得られ、これは他の方法で代替できない」と書いてあります。大阪の勉強会のときに「望診」がとても大切と言ったのはそういう理由です。もちろん望診だけで証を決めたら駄目ですが。

    以下は「今の私のやり方」です。

    たとえば、30代で痩せ型で色白で元気の無い女性が「肩こり」で来院したとします。声も小さい。こういう人をパッと見て、「これは実証タイプだ」なんて思う人はいないでしょう。経験の浅い鍼灸師だって、その人なりにコンパスが傾くはずです。望診をしっかり勉強すれば、精度が高くなって針がぶれにくくなるということです。そのときに口臭がなく、舌苔も白薄ならば、肝虚証に針が向きます。さらに問診をして患者の主訴や既往歴、睡眠、食事、二便を聞き、たとえば患者が仕事で何時間もパソコンを何時間も打ち続け、目を使いすぎて肩こりがつらく、足は冷えて、あまり食欲はないけど食べると案外食べられると訴えれば、「これは血を消耗したことによる症状だな」という推測がつきます。その上で脈を診て、左の関上が沈んで虚していれば、「やはり肝の陽虚(寒証)だな」と再確認できるし、実際に肝経のツボに触れて、脈が最も良くなるところに鍼をすればいいわけです。おそらく上記のような患者さんだったら太衝(土・原穴)が第一候補になりますが、感覚を優先します。複雑に考えると選択肢が増えてどんどん迷ってしまうので、シンプルが一番実践的だと思います。もし間違っていたら(効かなかったら)、やり直せばいいのですから。

    脈診に不安があるのは長谷川先生だけではありません。誰だってそうだと思います。私は何年も脈診主体の勉強会に参加したのに上達しませんでした。脈の変化がしっかりわかるようになったのは最近のことで、妻を毎日治療するようになってからです。同様に、長く通っている患者さんほど脈が把握できるし、変化にも気づくようになる。つまり一対一の関係から脈を考え広めていくべきであって、本などに書いてある一般的な情報を患者に当てはめても上手く行かないというのが、これまで私が学んできた印象です。結局は首藤先生の言われるように、沢山の患者を診るしかないのでしょう。だから臨床経験が少ないうちは脈診だけにこだわることもないです。同じ時間をかけて勉強した場合、望診や問診のほうがはるかに早く上達します。

    私のような経験の浅い鍼灸師でも、「望診に重要な反応が現れていた」と感じることがあります。その時ではなくて、後になって気づくのです。最近もそういうことがありました。先月の初め、腰痛を訴えて中年男性が初診で来院しました。10種類の徒手検査をすると全て陰性で動作痛はありません。これはおかしい。脈は沈実で、深い場所(蔵)に問題があることが推測されました。問診をすると、忙しくて毎日の生活に余裕が無いことや、眠りが悪いこと、自営業をされていて、休み無しで働いていることもわかりました。私は「これは腰が悪いのではなくて、ストレスが腰痛を起こしているのです」と伝え、肝虚証の治療とCSTを行いました。そして、この状態が続くのであれば、病院に行って検査をするように勧めました。なぜなら目に力が無かったからです。いずれ過労で倒れるか、うつになってしまうのではないかと思いました。「少し楽になりました、また来ます」と言って、その男性は帰っていきましたが、再び予約が入ることはありませんでした。それから一ヵ月後、彼が末期がんで亡くなったという知らせが届きました。うちに治療に来た数日後に病院に行き、そのまま入院となったけど、手遅れだったということです。

    では、自分が脈診によって、彼がそこまで悪い状態だったのを見抜けたかというと「いいえ」です。死が迫っているような脈にはみえませんでした。それぐらい脈診というのは難しい。でも、望診では目に力が無いのがわかった。後になって、「あれが神の無い状態だったのだ」と理解しました。ですから、望診のほうが脈診よりも臨床の役に立つこともある。その一方で、望診では元気そうに見えても、脈診によって不整脈を見つけることができます。結局はどれも大切ということですね。

    長谷川先生も自分のペースで学べばいいと思います。お互い焦らずに毎日頑張りましょう。

  • #9

    長谷川 (火曜日, 30 7月 2013 08:49)

    高嶋先生

    丁寧で実践的かつ具体的な症例をありがとうございました。

    「どれも大切」
    その言葉がじわじわと身体に染みています。

    個人的なことですが、この週末もまた濃厚な時間を過ごし、多くの魅力的な方々と触れ合いました。
    まだ感じたことを言葉にしきれない状況ですが、「想い」「祈り」「今・ここ」に集約されるように感じています。

    言葉にするのは、ある意味簡単です。
    何より行動で実践し伝えられるようになりたいです。
    自分を大きく見せようとか良く見せようとかいったことに色目を使わず、素直に「今・ここ」に心を込め続けられるように、日々向き合っていきたいです。

    高嶋先生の全力が私に気付きを与えてくださいます。
    本当にありがとうございます。

  • #10

    高嶋 (木曜日, 01 8月 2013 21:37)

    長谷川先生

    いろいろな出会いがあったのですね。肩の力を抜いて、長谷川先生が感動したことを患者さんの治療に生かしてください。

網上にある鍼灸院です
網上にある鍼灸院です