2017年

4月

04日

第32回経絡治療学会 学術大会 長崎大会

長崎大会のポスター
長崎大会のポスター

 

3月25~26日の2日間、長崎新聞文化ホール アストピアにて開催された「第32回経絡治療学会学術大会 長崎大会」に参加しました。今回は実技が池田政一先生のみだったので、全体的には「学」に比重のかかった大会だったと感じました。

 

一般口演では、脳脊髄液減少症、無月経、尿漏れ、耳閉感などの興味深い発表がありました。脳脊髄液の減少を津液虚と捉えて治療できるのは、病理考察ができているからこそですし、池田先生の流れをくむと思われる三名の先生の症例発表では、それぞれ瘀血の概念がポイントになっていることも印象的でした。また、増田先生の「知的障害者施設における鍼灸と脉状診の意義」では、脾虚陽虚が多い理由の考察が興味深く、制限のある中で真摯に患者と向きあう姿が伝わってきました。痰飲・水滞に至る内因・外因・不内外因の説明と、施術部位の意味づけがされていて理解しやすかったです。

 

椛島先生の「九鍼十二減原に学ぶ鍼法」のように「術」の部分に関する発表は、私のような臨床鍼灸師にとってとても参考になります。たとえば手技の補瀉で、皮膚を開きながらゆっくりと抜鍼する開閉の瀉法について考えてみました。寫と瀉について、これまで私はダニエル・ベンスキー先生のいうようにサンズイのついた「瀉」は体外に血をもらすもの(刺絡など)と考えていましたが、充満した邪実(熱)が汗とともに毛穴から抜けてくれたらそれもサンズイの「瀉」になるのだなと思いました。池田先生の『難経真義』を読むと、「瀉法は、主に陽経の熱の多い経絡に対して用いることが多い。経に逆らって刺し、鍼孔は開く」とあります。これは流注に対する迎随の補瀉と開閉の補瀉の二つの要素が合わさった手技だと考えられます。せっかくの発表なのに、パワポの不具合で口演時間が短くなってしまったのは残念でした。

 

橋本先生の講演でも述べられたように、経絡治療学会はひとつの流派ではありません。鍼の手技は各先生によって千差万別だし、同じ目的を目指していても色々なスタイルがあります。後述しますが、樋口秀吉先生の瀉法は押手に加圧を加えて鍼を抜くものです。また、首藤先生はあまり細かいことを言いません。鍼孔を閉じなければ瀉というシンプルな考え方です。おそらく他の先生方も、それぞれの考えを持っているはずです。どれが正しいとかではなく、私たちは各々が追試して自分に合ったやり方、より鍼が効くやり方を選んでいけばよいのだと思います。ついでながら、私は鍼がより効きやすい角度や方向性はあると感じていますが、経に沿うのが補で、逆らうのが瀉になるとは思っていません。霊枢の『九鍼十二原』や『終始』を読んでも迎随という意味が経に沿わせる云々でないことは明らかです。経に沿うかどうかよりも、樋口先生のいわれる鍼のベクトルのほうが実践的で重要だと思います。井上雅文先生も、藤本蓮風先生も、首藤先生も迎随の補瀉についてはこだわらなくていいと述べています。

田中保郎 医師による特別講演「西洋医学と東洋医学の違い、ツボとは」では、黄帝内経に書かれているように(治病必求於本)、病名や症状にこだわらずに人間の本質に向かって治療することの大切さを説かれました。本質とは、植物の場合は根で、人間では腸管にあたります。そして腸管が変化したものが臓器だそうです。人間の本質である腸管の仕事は免疫機能を司り、水分調節や温度調節をするだけでなく、「考えている」のであり、当身を受けて気を失うのは脳震盪ならぬ腸震盪をおこすからだそうです。その中でも小腸は全摘したら生きていけない、特に大事な場所であるそうです。藤田恒夫先生によると、全身に分布する「基底顆粒細胞」が人間の考えをしているそうですが、その基底顆粒細胞が体壁に多く集まっている場所が「ツボ」であると田中先生は考えています。基底顆粒細胞は3歳ぐらいまでに完成するため、この時期の子育てがいかに大事かというのを「三つ子の魂」と表現したのだそうです。「3歳頃までに受けた教育によって形成された人格は歳をとっても変わらない」という意味だけでなく、その時期までに腸内細菌が完成し、腸内フローラでの過程が上手く行われることで、その子は健康に生きていけるということです。小腸の働きが悪くなると老化や癌化がおこります。便秘は根腐れの状態です。酒びたりの腸内細菌もアウトだそうです。小腸に特効薬はありません。漢方薬は腸管を治すために開発された薬ですが、現代では使い方が間違っていることが多いそうです。散は吸収して効くもの、飲は冷やして飲むなど、正しい服用をしなければならないこと等々、多くのことを田中先生の講演から学びました。

池田政一先生の実技では、四診から証を決めるまでと、本治法によって脈がどのように変化したかという過程が大変勉強になりました。モデル1の女性は主訴が左股関節痛で、次のような理由から肝虚寒証として証を立てました。

 

・股関節は胆経が関与していること。

・腹診では季肋部の下がり方から肝癪がみられた。

・腹診をしながらの問診で、「あなたは物事をキチッとしないと気が済まないやろ?」と

 聞いて、肝虚タイプであることを確認した。

・脈診では肝腎が虚しており、胆と胃の脈もわかりにくい。これは肝血が不足して発散

 が悪いことと、胃の気が少なく太陰経の発散も悪いことを推察した。

・顔のシミが多いことから、よほどの血虚があると推察。『霊枢・経脈』の胆経の是動病

 から「甚則面微有塵体體無膏澤」を引用し、胆経の悪い人は顔に少し汚れがついている

 という表現があることを指摘した。

・脈診と腹診では肝胆に問題があることがわかり、さらに脾の脈が渋っていることから、

 太陰経が発散されていなければ気分も発散されないと推察し、モデルに鬱っぽいか、落ち

 込みやすいか、生理の時に特にそうなりやすいかを確認して、最終的に肝虚寒証とした。

 

治療は腹部に散鍼をして本治法をしたあと、左股関節痛に対して左丘墟に単刺をしました。腰部に対しては仙腸関節付近に出ているグリグリを強めに揉みながら、反応点に灸頭鍼をすると良いというアドバイスをしました。伏臥位になり、肩外兪、肩中兪あたりのコリを揉みながら、ここは置鍼をするか外向きに横刺をするとよいとアドバイスをし、大杼から縦にゴリゴリと筋張った部位に対して長柄鍼で散鍼(衛気の補法)を行いました。また、督脈上の圧痛が多いことから、モデルが神経質すぎることを指摘し、鍼灸師は繊細な中に大胆さが必要であること、そしてこのコリは運動で取るようにと述べて治療は終了しました。使用した鍼は日進医療器の寸3の0番で(普段は青木の銀の2番鍼)、背部には1寸0番の中国鍼も用いていました。また、本治法の際には大竹野先生が脈を診ながら、刺鍼による変化を伝えていました。以下は主だった刺鍼部位です。

 

腹部に散鍼

太谿(腎がひきしまって、肝の脈が出てきた)

太衝(ツボの横のキョロキョロに2ミリほど刺す)

隠白(胆の脈が出てきた)

   そのあと下腿脾経上を強めにさすり、圧痛とグリグリを確認する。肝虚証なのに脾経

   に圧痛が出ているので、どっちを補ってもいいかもしれないと池田先生。

三陰交(だいぶ脈が出てきた)三陰交で脈が出たんやねと池田先生。

左丘墟(寸6の5番鍼を用い、関節の中に全部入れる)

背部に散鍼(衛気の補法)

 

率直な感想としては、本治法と脈状の変化に関しては十分な解説をされて、大変分かりやすかったです。モデルは血虚があり、太陰経の発散もしにくい(沈んで胃の脈もわかりにくい)ことから脈が出にくく、本治法に用いる要穴に加え、三陰交を補うことで全体的な脈がようやく出てきたという一連の流れを、その場で受講者に説明できるのは池田先生ならではだと思います。ただ、主訴である股関節痛がどう変化したのかはわかりませんでした。治療前と治療後の比較も無かったです。また、腰部の反応には揉むだけで刺鍼をしなかった点や、肝虚寒証の人に太い鍼(寸6の5番)で丘墟に深刺しする必要があったのかも疑問に思いましたが、おそらくデモだからなのでしょう。池田先生はこの後も数名のモデルに実技をされました。モデル2の肺虚体質で潰瘍性大腸炎の男性(沈渋細で肺虚の気滞)には、太淵・商丘を補って、背部に接触鍼を行いました。モデル3の鼻水と咳が3日前から出ている男性(脈は腎心が弱く、相対的に肺脾が強く、硬い)には、膻中の圧痛と、期門付近の食塊と、両側の天枢に張りを認め、温病型で太陰経と陽明経に気が停滞していると推測し、散鍼のあと、商丘・中衝を瀉法し、攅竹と四白に軽く置鍼しました。そのあと伏臥位で魄戸、膈兪、腎兪と刺鍼(よく見えませんでしたが、たぶん軽く単刺)し、天柱のゴリゴリを強く揉み(モデルは声を出して痛がっていた)、崑崙に刺鍼したあと、背部に散鍼をして治療を終えました。

懇親会にて

この数か月間、第20回弦躋塾セミナーの樋口秀吉先生のビデオ作製をしていたので、樋口先生の美しい手技に魅了されていました。どうすればあんなに華麗に鍼が打てるのだろうかと。もちろん、長年の修行によって獲得された技術でありますし、樋口先生も動画の中で「家が建つほどの金をかけて勉強した」と述べられていますから、形だけ真似をしようと思っても上手くいくわけがありません。それを承知の上で、何かアドバイスが頂けないかと、懇親会で樋口先生にお話しをさせていただきました。樋口先生はYoutubeの動画でも、「力を抜くこと」を強調されています。触診も弾入も力が入っていません。押手もそうです。力が入っていたら気が満ちてきたときの体表の変化が読み取れないそうです。ところが力を抜くのは簡単ではありません。力を抜こうと思うと却って力が入り、樋口先生のように軽やかな鍼が打てません。では、どうすれば力を抜いた治療ができるのでしょうか?

その答えは「意識」にありました。

 

私が弾入の姿勢をとると、「指先に意識が集まりすぎているから重いんだ」と樋口先生。「指先の力を抜くためには、手首に意識を持っていけばよい。さらに、その意識を肘まで持っていけば、指先と手首の力が抜ける」。「ほら、いい弾入になったじゃない」と言われて見ると、なるほど力が抜けた弾入ができました。そして、「今度は肘から肩に意識を持っていき、最後は首と背中で体をコントロールすれば、指先や手は自由自在になる」とのことでした。これは野球などのスポーツ選手でも同じことが言え、良い選手は力みが無く、みな首がしっかりしているそうです。また、樋口先生の押手は皮膚表面の弾力を感じ取れるぐらいの軽さです。さらに押手の3圧では左右圧が大切ということですが、左右圧はどれくらいの強さかというと、親指と人差し指がしっかり密着されているのに、これもほとんど力が入っていませんでした。樋口先生は押手の瀉法をする場合、その位置から下圧をかけてゆっくり鍼を抜きますが、この下圧も皮膚をググッと押し込むのではなく、じわっと体重がかかるような感覚でした。

 

「意識」というキーワードに関連して、樋口先生から取穴のコツについても教えていただきました。それは「探す」と「うかがう」の違いです。これは実際に肌に触れられて初めて分かる感覚ですが、「探す」というのは本来行っている取穴のことで、虚している場所なり、凹んでいるエリアなりを探す行為です。ところが「うかがう」の触れ方はもっと軽くて柔らかく、施術者と患者が一体化するような感覚でした。実際、樋口先生から「うかがう」のやり方で太淵を取穴されたとき、気がジワーンと響いていき、すでにそれ自体が治療になっていることがわかりました。大変失礼な言い方ですが、このとき「この先生は本物だ」と改めて思いました。この感覚をここまで強烈に感じたのは、首藤先生の他これまで数名の先生だけです。また、「うかがう」という意識の持ち方は、小林詔司先生のいわれる「意識」の意味ともリンクするのではないかと感じました。理論だけ豊富でも患者は治せませんし、基礎的な手技がおろそかになっては論外ですが、鍼灸が気の医療であるならば、本来はこのような方面の研修もあっていいのではないかと思います。

 

樋口秀吉先生と
樋口秀吉先生と

樋口先生からはまた、治療には2種類あることを教えていただきました。それは攻めの治療と待つ治療です。首藤先生は攻めの治療だそうです。そして攻めの治療は誰にでも出来るものではないということでした。そういえば池田先生も度々、「あれは首藤先生だから出来るのであって、君らが真似したら駄目ですよ」という発言をされています。その一方で、待つ治療ならば誰でもできるとのことです。この話を聞いて、納得することが多々ありました。こういう実践的な勉強は教科書では決して学べません。今回、樋口先生からは貴重なことを色々と教えて頂き、大変感謝しています。

首藤先生、馬場道敬先生と
首藤先生、馬場道敬先生と

首藤先生とは昨年のWFAS以来にお会いしました。最近は体調も良好で、数年前よりも若くなられた印象がありました。大分から4時間のバス移動も疲れなかったそうで、懇親会でも首藤スタイル(ビール・日本酒・ワイン・焼酎・etc)で楽しく飲まれていました。そういえば、今回の懇親会は料理が美味しかったです。旨い肴と鍼灸談義とで、実りある時間を過ごすことができました。学会・懇親会ともに、長崎大会で得た収穫は多かったです。今回学んだことを、明日からの臨床に活かします。

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