2016年

4月

23日

第18回弦躋塾セミナーの動画

九州では熊本地震の余震が今も続いています。被災された方々にお見舞い申し上げます。

 

このたび第18回弦躋塾セミナー(2003年開催)の動画が完成し、YouTubeにアップロードしました。特別講師は積聚会会長の小林詔司先生です。全3巻で、パート1は小林先生の講義、パート2は小林先生の実技、パート3は首藤先生の講義と実技が収録されています。私個人のビデオカメラで撮ったもので映りが悪いですが、講演内容は素晴らしいです。パート1の小林先生の講義は、音声が聞きづらいために字幕をつけました。また実技には、『続・積聚治療』を参考にしてキャプションを入れました。小林先生には動画公開のお許しを頂いただけでなく、『続・積聚治療』を贈呈して頂き、感謝しております。 

小林先生の講演について

今回、編集作業をしていて、積聚治療はシンプルでわかりやすく、非常に魅力的な治療法だと改めて感じました。脈診でさえも指標のひとつとして考えますし、脈の調整は太淵か大陵で行ない、その評価も孔最の反応によって確認できます。これならば初心者でも臨床で活用できるでしょう。健側に刺鍼をするということも積聚治療の特徴です。これも患部を問題とするのではなく、精気の虚によって患部に指標が表れていると考えます。鍼灸師としては硬結に鍼を当てたいところですが、私も先日、腰痛患者に対して、あえて健側の志室のみに刺鍼したところ、患側の硬結が緩んでしまいました。しかも、一週間後に再来院した際、「あれから腰が楽になってねえ」と患者に言われ、「いつもの鍼より効いてるかも?」と内心驚きました。そして、その際に必要になるのが意識です。小林先生の講演で最も印象に残った言葉であり、これは「気至る鍼」をするための具体的な方法であると思いました。

 

実技では、積聚治療の初心者にわかりやすいように、4人のモデルともに第一方式で治療を行なっています。背部兪穴を治療する際に、4つの領域すべてをやる前に指標が取れてしまうケースが多く、小林先生の治療技術の高さが伺えました。腹診では剣状突起、臍、恥骨付近をよく触診していたので、澤田流の影響もあるのかなと感じました。患者の汗をよく拭くことも、そこまで汗が出ることも印象的でした。

 

ただ、経絡治療をしている人は用語の意味の違いに混乱するかもしれません。たとえば陰虚は内熱ですが、積聚治療では身体の下位から始まる冷え病症のことをいいます。心虚証という言葉もしかりです。 それから、この動画を撮影した2003年当時と現在では解釈が異なっている部分(痛積・牢積の場合、肝積は肺虚証など)もあると思いますので、ぜひ『続・積聚治療』を読まれることをお勧めします。また現在、北米東洋医学誌(NAJOM)に高橋大希先生が積聚治療入門を連載されているので、そちらも参考になります。

 

首藤先生の講演について

実技を見ると、取穴や刺鍼の手の動きがとても速くて驚きました。動画を撮っていて本当に良かったです。もう弦躋塾では学べませんが、動画は繰り返し見て学べるので、記録としても教材としても貴重だと思います。ぜひ若い鍼灸師や学生の方に見ていただきたいです。

最後にお願いがあります。

 

私がYouTubeにアップした弦躋塾セミナーの動画について、首藤鍼灸院に問い合わせをする人がいるようですが、大変迷惑がかかりますので止めてください。同様に特別講師の先生にも問い合わせをしないよう、よろしくお願いします。

 

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2016年

4月

03日

第31回 経絡治療学会学術大会 東北大会

2016年3月26日(土)~27日(日)の2日間、宮城県仙台市のTKPガーデンシティ仙台にて第31回経絡治療学会学術大会 東北大会が開催されました。仙台駅のすぐ隣でアクセスが良く、会場はビルの21階で窓からの眺めが素晴らしかったです。また、会場には大きな机も用意されていて勉強がしやすく、運営側による参加者への配慮が感じられました。

大会ポスター
大会ポスター
会場は地上21階
会場は地上21階
会場から見た仙台市街
会場から見た仙台市街

 

今学会で私が一番楽しみにしていたのは、浦山久嗣先生の教育講演1『日本鍼灸の歴史』です。実は昨年の夏期大でも同様の講演があったのですが、夏期大参加が3回目の私は研修科の講義が受けられないという、無慈悲な夏期大ルールに阻まれて涙を呑んだので、今回は運が良かったです。講演内容の一部を記します。

 

21世紀になってから多くの資料が発掘され、それまで富士川游の資料のみだった日本の

 医学史の既成概念を見直さなければならない状況になってきた。本来、日本の医学は仏

 教文化との関わりが大きかった。後に幕府などで朱子学が盛んになるに伴い、中国医学

 が主流となるが、西洋医学が入るとそちらに一辺倒になり、現在に至る。

 

・飛鳥時代に渡来人(呉の智聡の末裔の一族)によって仏教書とともに医学書(薬書・

 明堂図)が持ち込まれ、仏教医学として僧侶が治療を行なっていた。大宝令(701年)

 によって医博士・鍼博士などが制定され、さらに養老令(757年)では女医制度も追加

 され、それが按腹法につながっていった。

 

・日本最古の医学書である『医心方』(984)では、病理の基礎理論がアーユルヴェーダ

 や仏教医学であり、その上に治療の各論として中国の処方や治療法が載せてあるという

 二階建てだった。これを浦山先生は「仏魂漢才」医学と表現した。

 

『医心方』の22巻のみ経絡や経穴・臓腑の図が描かれているが、他では一切排除されて

 いる。胎児を養うのは経絡だったので仕方なく胎教出産篇には経絡を載せたけども、

 本当は入れたくなかったのではないかと推測できる。

 

・平安時代末期には真言宗僧侶の覚鑁(かくばん)が大日如来の真言(ア・ヴァ・ラ・カ・

 キャ)と五輪(=五大  地・水・火・風・空)を結びつけ、さらに五臓と結びつけて仏教

 医学と中国医学を融合したために、その後の日本人は五行と五大の区別がつかなくなって

 しまった。

 

・僧侶でも治せない業病も「五臓の根焼」をすることで前世の宿運を断ち切ることができ

 るということから、背部兪穴の灸が日本では深く浸透していった。

 

・立川流円覚経→和名図法師→福田方(五輪塔型臓腑図)→鍼聞書(腹の虫)→

 多賀法印流→打鍼術という、僧侶らによる鍼灸の普及があった。管鍼術は入江流→

 杉山流と続いていくが、現在も行なわれているのは石坂流の管鍼スタイルである。

 

・田代三喜は明に行っておらず、横浜沖に漂着した中国船から大量の書物を金沢文庫に運

 び、最新の中国医学の知識を得た。そして弟子の曲直瀬道三へと続いていく。彼等は日

 本的弁証論治である察証弁治を行なった。

 

・WHOで制定されている骨度や経穴の多くは江戸期の日本の文献が元になっている。

 

・後藤艮山は肝気鬱結を最初に唱えた。その頃の中国医学にそういう概念は無かった。

 

・江戸期後半から刺絡と西洋医学の流行があり、神経学説と経穴を合わせようとした

 結果、本来のツボのとり方が失われてしまった。

 

他にも貴重な話が色々あったのですが、集中力が途切れてメモが追いつきませんでした。感想を一言で述べると、日本人は昔から新しいもの好きな民族で、しかも異文化を上手に取り入れて活用することに長けていたということや、その基礎になっているのが仏教文化だったということです。たとえば熱さを我慢できるように艾炷を小さくしたり、痛くない鍼を打つために細い鍼や鍼管が用いられたのは、相手を思いやるという慈悲の心があったからでしょうし、そのような仏教思想は現在の日本人および日本鍼灸の中にも脈々と受け継がれていると思います。

岡田明三先生の会長講演「随証療法について」では、1972年に中国の鍼麻酔の報道が入ってから、日本の鍼灸は痛みの治療に変わってしまったことを指摘し、全身の調整がいかに大切なことであるかということを述べました。そして経絡治療の初心者や学生にも分かりやすいように、随証療法とは何かを解説しました。

 

・経絡治療で最も大事なことは診断して証を立てること。蔵府から発生した色々な症状に

 よって肌の色が変わったり、頭と手足の温度差が出るといった気血変動がおきる。その

 結果、力が衰えていくものを虚、外邪や内なるストレスと戦って発生する熱などを実と

 し、虚実証としてとらえる。それに対して本治法と標治法の二つを組み合わせることで

 しっかりとした治療ができる。

 

・脈診だけではなく、身体のあちこちに出る症状の変化を細かく集めて揃える。五行陰陽

 はグループに分けていくと分かりやすい。それが診断である。難しく考えずに、顔が赤

 い、足が冷えるなどと書いておけばいい。それを後で本を見て、黒いのは腎だと分かっ

 ていけばいい。

 

・本治法とは、木でいえば根っこから下の見えない部分を治療することである。消耗して

 いる状態を虚証という。家に帰って寝なさいとか、身体を温めなさいというのは補法。

 汗をかいて熱を下げましょうというのは寫法。人間は仕事や生活で消耗していくから、

 95%ぐらいが虚証の治療をする。

 

・標治法とは、表に出ている症状を治療することである。患部の虚実と、熱か冷えかを

 しっかりと確かめる。熱があるときは冷やすと熱は治る。膝が腫れている人が温泉に湯

 治に行って悪化することがある。日本人は温めるのが好きだが、虚証であっても局所に

 は冷やすことが必要となる。

 

・本治法だけでなく、標治法も証に随うことが大切である。

弦躋塾の先生方と乾杯
弦躋塾の先生方と乾杯

一般口演では11人の各支部・部会の先生方が症例報告や失敗例、比較例などを発表しました。それぞれ診断や治療の方針には主宰する先生の影響が濃く表れており、同じ経絡治療学会内でも様々なスタイルが存在しますが、地方会に属さない鍼灸師(本部会員)や学生にはその違いがわかりにくいという一面もあります。そういう意味で横山奨先生の「経絡治療学会における鍼施術の実態調査」は興味深い発表でした。次回は是非、本治法における選穴とその理由、また同様に手技の補寫に対する傾向についても調査に加えていただきたいです。会員数4000名-地方会員=本部会員とするならば大多数は本部会員になるので、このような統計調査はとても有益だと思います。

 

米沢利一先生の「『医学切要指南』との出会い」は大変勉強になりました。「三焦経は短いのに、なぜ全身を調整できるのか」という発想から研究をされたそうですが、そういう臨床的な動機づけがないと、ただ本を読んだり講義を聴いたりしてもなかなか実になりません。私も早速読んでみました。難経25難に書かれた「有名無形」について、馬玄台や虞搏、張介賓といった錚々たる面々が「それは脂膜のことで、難経は誤りだ」と唱えたことに対し、岡本一抱は行燈から出る光を腎間の動気の別使にたとえて三焦が無形であることを説明し、張景岳らを「皆ナ彼ノ光ニ氣ガツカズシテ只行燈ニノミ目ガツイテ有形トスル也」とバッサリ切り捨てています。また米沢先生が感じたのと同じ疑問を、一抱の門人も質問しており、「諸経諸絡ハ皆三焦ニ通スル者也。故八難ニ諸十二経脈者皆ナ生気之原ニ係ルト云ヒ、六十六難ニ臍下腎間ノ動気ハ十二経脈之根本也ト云。然バ則手ノ少陽経短シト云不審ニモ不及コト也。」と一抱は答えています。私の感想としては、張景岳ら中国の医師はより解剖学的なアプローチをすることで医学を高めようとし、岡本一抱は気の効能という面を深く掘り下げて解釈したのではないかと思いました。そのような中国人と日本人の考え方の違いは、浦山先生の講演にあった仏教思想との関連があるのかもしれません。それは現代における日本鍼灸と中医学の違いにも表れている気がします。そして、単に使用する経穴や手技の違いにこだわるのではなく、古典に書かれている病理を自分自身で考察することの大切さを改めて認識しました。

 

『医学切要指南』を含む岡本一抱の著書は、京都大学附属図書館のサイトから無料で読めます。なんと幸せな時代でしょう!

会頭講演は樋口秀吉先生による、「日本鍼灸医学・経絡経穴篇の解説」では、6年間という時間をかけて完成した本書について、その特徴や苦労話などを紹介しました。取穴をする際にわかりやすいよう図版は平面ではなく、術者がベッドサイドに立った角度になっていることや、大震災の影響によって作業が長期にわたって中断したこと、その後、第30回記念大会(2015年)に間に合わせるために2年で編集作業を仕上げたことなどを述べました。まさに「経絡経穴篇」は東北支部の先生方による努力の賜物だと思います。

 

また、今回は実技が首藤先生のみだったのですが、できれば樋口先生にも実技を披露していただきたかったです。11年前、弦躋塾に特別講師として来て頂いたとき、その手技の美しさに魅了されました。また昨年の東京大会の実技では、樋口先生の担当は大人のモデルを小児に見立てての小児喘息だったので、ぜひともホームである仙台で樋口先生の実技を見たかったです。

そして首藤傳明先生ですが、84歳という年齢や、寒さに弱いといった体調面の心配を吹き飛ばすような、気力のある実技でした。手技が速いので学生や初学者の方には分かりにくかったかもしれませんが、磁石の様に手が勝手にツボに行ってしまうような取穴や、ツボの取捨選択、刺激量の加減などが瞬時に行なわれていました。これは理屈ではなく、実践でしかたどり着けない境地なのだと思います。

教育講演2は野坂篤司先生(三沢市議会副議長)による「笑売人のひとりごと」で、私たち人間がどう生きるべきか、またどのようにすれば失敗しないのかということを、笑いを交えながら講演されました。社会においても天地自然の法則は生きており、「水が低いところに流れる」ように、威張った人や傲慢な者からは人は離れ、腰の低い者には人が集まるといった現実的でわかりやすい話が聞けました。野坂先生は孔子が中庸の大切さを説いた「宥座之器」を用いて、「たとえ成功した人であっても、いつまでもその座に居座ってはいけない。全てを失うことになる」と述べました。講演からいくつかのエピソードを記します。

 

・謙虚でなければならない。

・強さでなく、知性でなく、変化に対応できるものが強い。

・成功してから全てを失う危険がある。

・女性を大事にできない男は駄目。

・人を育てることに金を使うべき。

・知らないことは知っている人から聞け。

・応援する気になると競争しない。

・どんな学問も人から教わった。

・粗末にしたもので、人は苦しむ。

・人間から出るもので一番汚いものは言葉。言葉で人も殺せる。

・全部自分のためにやっている。好きだからやっている。人のためではない。

 

最後の文は「忘己利他」と反するようで、決して反してはいないと思います。現実的で説得力のある言葉だと感じました。

長崎・孔子廟
長崎・孔子廟
宥座之器
宥座之器
中庸の大切さを学ぶ
中庸の大切さを学ぶ

 

仙台からの帰りは弦躋塾の先生方と同じ飛行機だったのですが、たまたま私の座席の後ろに馬場道敬先生が座っていました。福岡空港に着陸して窓の外を眺めていたら、後ろからチョンチョンと肩を叩かれ、「小倉回りで帰るの?」と聞かれたので、「いえ、私は大分じゃなくて五島なんです」と答えると、「ほお、まだ遠いな。じゃあ帰りは明日?」、「はい、今日は長崎に泊まります」といった会話をしました。そして最後に「今回は勉強になった?」と聞かれたので、「はい、とても勉強になりました」と答えると、「一つか二つでいい。大事なことはね、一つ持って帰ればいいよ。あまり欲張っちゃいかん」と笑顔で言われました。特に面識も無い私にも気軽に話しかけてくれて、フランクで魅力のある先生だと改めて感じました。

 

翌日の朝、長崎の孔子廟に行って宥座之器を試してみました。空の器は傾いていますが、水を入れると段々と真っ直ぐになり安定します。さらに水を入れてもしばらくは安定したままですが、満杯に近くなると、器は逆さになって水が全部こぼれてしまいました。この丁度よい水の量という感覚と、馬場先生の「あまり欲張っちゃいかん」という言葉が重なり、「うぬぼれず、欲張らず、身の丈にあった生き方をしていこう」と考えました。

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