2015年

11月

13日

日本伝統鍼灸学会 第43回学術大会in東京 3

学会の帰り、羽田にて
学会の帰り、羽田にて

 第43回日本伝統鍼灸学会の感想を続けます。実技講演は大浦慈観先生・石原克己先生(解説:浦山久嗣先生)・藤本蓮風先生の3名が行ないました。テーマは「杉山流の管鍼術」、「江戸期における刺絡・員利鍼の変遷と実技」、「打鍼と古代鍼の発掘と臨床応用」と江戸時代の鍼灸に関連したもので、時代とともに忘れられつつあった優れた技術を研究・継承されています。それぞれの先生から学ぶところは多く、大変貴重な講演でした。

 

大浦慈観先生の実技では杉山流の「管鍼術」を紹介し、金属製の鍼管を用いて打鍼のように皮膚を叩く技を披露しました。そして「過剰な衛生至上主義が蔓延し、ディスポ鍼のプラスチック鍼管が一般的になった現在、伝統的な手技が廃れてしまうことが無いように、管鍼術を実践できる臨床家が積極的に発信するべきである」と語りました。鍼を弾入し、そのまま鍼管を叩き続ければ結構な刺激量となりますし、方向や深さを考えて叩けば、硬結や水滞、瘀血など色々な目的に活かすことができるかもしれないと思いました。

 

過剰な衛生至上主義については、私も学生時代に指サックをはめ、イソプロでびしょびしょになるほど消毒をするやり方に疑問を抱いていました。また、学校の付属施術所には「遠隔治療禁止」と張り紙が貼ってあり、実技研修で、たとえば肩こりで曲泉に鍼をすると、そこの主任の先生から叱られたものです。同様に脈診も否定されました。学校全体が西洋医学寄りの風潮で、東概を教える古株の教員には熱意が感じられず、授業内容も粗末なものでした。伝統的な鍼灸が廃れる原因の一端は、そういう教育者にあると思います。今はどうか知りませんが。

石原克己先生は員利鍼による刺絡を行ない、浦山久嗣先生が解説を行いました。浦山先生は、「鍼治療はミクロレベルで考えれば出血を避けることは不可能である。刺絡の目的は気血を巡らせる手技のひとつであって、血液を大量に出すことではない。鍼が開発される以前から砭石治療が行なわれており、金属製の鍼が使われるようになってからも出血を伴う治療は継続され、黄帝内経では主たる治療法として確立されている。刺絡法は歴史的にも文化的にも鍼灸治療の範囲内に含まれており、両者を切り離すことは出来ない」と述べて、鋒鍼と員利鍼の使い方を説明しました。

 

石原先生はモデルの腹診をして食滞と瘀血塊を確認し、痞根、志室、陽陵泉などから刺絡をしました。石原先生の観察力と技術レベルの高さや、刺絡をする際には意識で気の調整をしつつ行なうことがわかりました。実技の様子を以下にまとめます。

 

○痞根に対し員利鍼(太さ65番)を用いて、母指で皮膚を圧迫し、上がる瞬間に刺す方法

 と、皮膚を緊張させて刺す方法を実演した。また大巨周辺の瘀血塊をゆるめるために、

 志室のやや下の部位にも刺絡を行なった。鍼の痛さはかなりのもので、その効き目とは

 うらはらである。

○陽陵泉から刺絡。腹部の瘀血塊から陽陵泉に意識で邪気を引き、刺絡ともに出す。

○復溜から刺絡。気つけの為に使う。瞬間的に神経に当てるため、電撃様の刺激がある。

○井穴刺絡。母指の横紋を紐でしばり、荻野元凱方式で少商に刺し、血をしぼり出す。

○左右の膈兪に対し、韮葉鍼と三稜鍼(こっちが痛い)で刺絡し、吸い玉をかけた。

○背部に鈹鍼を使って出血をさせた(かなりの量)。

○解説のみだが、尺沢から静脈刺絡をする方法、陰部の疾患に対し、陰茎の根元を紐で縛

 り、尖端を三稜鍼で刺す(!)方法、皮膚疾患に、大腿部をつまみながら鈹鍼でひっか

 いて出血させる方法を紹介した。


石原先生の実技は、よく通る声で、的確な状況解説をしていただき、大変分かりやすかったです。

藤本蓮風先生は、打鍼と夢分流腹診、古代鍼について解説したのち、会場からモデル希望者4名に対して実技を行ないました。以下に藤本先生が述べたことを要約します。

 

○藤本先生は夢分流打鍼を発掘・研究し、現代人に対応できるように改良した。鍼灸医学

 は臨床が全てであり、効かない鍼は意味がない。打鍼は様々な難病にも効果的である。

○打鍼があったからこそ体表観察の面白さに気がつき、難しい病気も治せるようになった。

○グリグリを探すのは体表観察ではない。多くは触れるだけでもわかる。そういう鍼をや

 ると、びっくりするような病気が治っていく。

○現在使う打鍼は刺さない。現代人には刺す必要が無いからである。押手の形も変えてい

 る。伝統医学の何を継承しているかといえば、その本質である。腹部という場所に限定

 して、特殊な刺激を与えることである。

○伝統を固定的にみるのではなく、常に今、その伝統が生きるかどうかが大切である。そ

 れが伝統の継承であり、伝統医学とは、今この時代に苦しんでいる患者治す医学でなく

 てはならない。

○夢分流の腹診は、蔵の配当と同時に身体の縮図でもある。たとえば、みぞおちは心であ

 るが、頭でもある。

○ついこないだ、右の母指と次指がしびれて動かなくなった患者は、右期門に反応があっ

 た。よく調べると肝鬱をおこして、疲れすぎて、肩が悪い。空間の理論に従って百会に

 1本、たった一回で指が動き出した。こういうことが自在に出来る。だから夢分流の打

 鍼術をやるやらないは別として、診断法としても非常に優れたやり方である。

○古代鍼は、1990年に北京の医史博物館で購入した「漢代の鍼のレプリカ」を元に、

 現代でも使えるように作られた鍼である。横向きに当てて気を集める。かざしているだ

 けである。私はかざすだけの鍼で先天性の癲癇を治している。

○あなた方が大事なことは事実を知ることです。本当に知りたかったら、知るように見れ

 ばいい。この鍼灸界の悪いところは、見もしないでなんだかんだ言う評論家が多い。事

 実を見ないと。私はそれが一番今日言いたい。事実を知ってほしい。そうすると、私の

 言うことが真実だとわかります。

 

藤本先生の実技は圧巻でした。右肩の水平内転と屈曲ができない男性モデルは腹診をすると、身体の縮図にも右肩の部分に反応が出ており、右の季肋部、不容のあたりに打鍼を行いました。その音から、圧の加減を微妙に変えていることがわかります。太くて先の丸い鍼を、木槌でコンコン、ココココココン、カンカン、カカカ、カン、カンと叩くと直後に肩が動くようになりました。「これは事実ですよ」と藤本先生。会場からは大きな拍手が起こりました。

学会に参加すると、毎回多くのことを知ることができ、同時に自分の知らないことの多さに気がつきます。今学会で学んだことを復習して吸収し、明日の臨床に活かしたいと思います。

首藤先生を囲んで
首藤先生を囲んで
神田古本まつり
神田古本まつり
懐かしのホープ軒
懐かしのホープ軒

今回、首藤傳明先生がビデオ撮りのために数日前から上京されていました。良い映像が撮れたそうです。学会中は酒の席をご一緒させていただきました。

 

余談ですが、いつもは伝統鍼灸学会に参加する際は現地に2泊し、長崎か佐世保で1泊して島に帰りますが、今回は東京3泊コースにしました。滞在時間に余裕ができたので、神保町や新宿などで買い物をし、ついでに吉祥寺でラーメンを食べてきました。東京を離れて5年半になりますが、歩くスピードは遅いし、人酔いしそうになっている自分に驚きました。環境の変化とは恐ろしいものです。そして五島に着いて船を下りるとき、何ともいえない安堵感に包まれます。もう都会には住めません。すっかり五島もんです。

鯛の浦港にて
鯛の浦港にて
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2015年

11月

10日

日本伝統鍼灸学会第43回学術大会in東京 2

第43回日本伝統鍼灸学会の感想を続けます。会場のロビーには小林健二先生の製作による、「昭和先達の記憶ー日本経絡学会・日本伝統鍼灸学会歴代の会長・副会長」と題したパネル展示がありました。中にはこれまで名前しか知らなかった先生もいたのですが、プロフィールを読んで様々なエピソードを知ることが出来ました。写真も良い表情のものが使われていて、小林先生のセンスを感じました。

パネル展示 昭和の先達の記憶
パネル展示 昭和の先達の記憶

澤口博先生による「中神琴渓の診てきた病」では、江戸時代後期に活躍した医家・中神琴渓の症例から、症状別に使用穴とその傾向を解説を行ないました。琴渓は吉益東洞や張仲景に影響を受けた実践主義者で、「本に書いてあることを全て信用するな。読んで試して効果のあったものだけ採用しろ」といったように、技術は手取り足取り伝えなければならないという立場をとっており、門下生は3000人もいたそうです。琴渓の治療は鈹鍼を用いた刺絡や、下剤・吐剤などの瀉法を多用するもので、梅毒の治療には水銀を使いました。その理由は「治るから」であり、「素問・霊枢などは利用できるところは少ない」とか、「王叔和は天才だから脉がわかったのであって、脈経を読んでも二十四脉はわからない」などと発言したそうです。急性脳疾患に地倉、心臓や精神疾患に膏肓、慢性的な下肢疾患や心臓疾患に委中、上半身の激痛に尺沢、おできや外傷による腫れには血や膿を排出させていたということです。

琴渓は本を書かなかったそうですが、口授を弟子が記録しています。幸いにも、その記録である「生生堂養生論」「生生堂雑記」「生生堂医譚」「生々堂論語説」「生生堂傷寒約言」はデジタルライブラリで読むことができます。こんな貴重な資料を誰もが無料で勉強できるのですから、日本は本当に素晴らしい国だと思います。試しに「生生堂養生論」を読んでみると、これがとても面白いです。いきなり『二十四孝』の登場人物批判から始まります。母のために魚を捕ろうと、凍った河に裸で伏して体温で氷を溶かした王祥に対しては、「愚ノ至リナリ」。家が貧しく、3歳の孫に食事を分け与えていた自分の母親の健康を案じ、わが子を埋めて母親を養おうとした郭巨については、「恩愛ノ情ナシト云ヘシ、愚ノ至リ、大不孝」。盗賊に遭って食べられそうになった弟が、母に食事を与えてから戻ってくると約束し、それを聞いた兄も盗賊のところへ行き、どうか私のほうを食べてくださいと言って弟と死を争った張孝兄弟については、「コノ兄弟ハ最モ馬鹿者ナル哉、誠ニ比類ナキ馬鹿者ナリ」とバッサリ斬っています。しかし、養生について琴渓が述べていることは至極真っ当であり、「草取りは親指と人差し指で引けるうちに引き抜いておけ」とか、「糞水二十貫目持てる人は十七貫目にしておけ」など、実生活で生かせるような具体的アドバイスをしています。そして、私たちはどのような心持でいれば健康でいられるのかということについて、琴渓は次のように述べています。

 

夫(ソレ)親ニ孝ナル者ハ上ヲ犯サズ、上ヲ犯サザレバ身體髪膚に刑戮(ケイリク)ヲ受ルコトナシ。上ノ咎ナケレバ心安ク意楽ム。孝アルモノハ必ズ信アリ。故ニカリニモ虚誕(ウソ)ヲ發(イハ)ズ、人ヲ欺キ侮ルコトナシ。蓋罪ヲ侵シテ辱メラルレハ、則是不孝ナルコトヲ知レバナリ。人ニ辱シメラレザル故ニ自ズカラ悲怒ノ情興ラズ。悲怒ノ情興ラザルガ故ニ自ズカラ百疾ヲ生ズルコトナシ。君ニ事(ツカエ)テ忠ヲ竭シ、父母ニ事ヘテ孝ヲ盡シ、長者ヲ敬ヒ、幼者ヲ恵(アハレ)ミ、朋友ニハ信ヲ以テ交リ、夙(ツト)ニ起、夜ニ寐(イネ)、ソノ生業ニ怠ラズ、冨メドモ驕(オコラ)ズ、貧シケレドモ諂(ヘツ)ラハズ、奢リヲ長セズ、欲ヲ恣(ホシイママ)ニセズ、身ノ分限ヲ知テ天命ニ安ンジ、正ト不正トヲ辨別シテ正ヲ行フトキハ心ニ憂苦ナシ。心ニ憂苦ナケレバ、氣血ヨク回リテ疾病オコラズ、身體安佚ナリ。サレドモ顔子伯牛ガ如キ賢人ノ短命ナリシハ、亦天ニゾ自ラマネケルノ疾ニハアラザルナリ。夫世間ノ疾病(ヤマヒ)十ニ七八ハミナ自ラ招ルモノニテ、大抵不孝ノ不養生ヨリ發ルト知ベシ。

 

それって、素問に書いてあることじゃないすか?とツッコミを入れたくなりますが、少し読んだだけでも琴渓先生の魅力がビンビン伝わってきます。澤口先生の講演のおかげで琴渓先生のファンになりました。この冬は生生堂シリーズをじっくり読もうと思います。

宮川浩也先生の会頭講演は「陥下について」で、『霊枢』の邪気蔵府病形篇や禁服篇、経脈篇などの記載から、陥下とはなにか、そしてそれを視て探すとはどういうことかをテーマに解説されました。以下にまとめます。

 

○陥下には灸をする。(陥下則灸之:経脈篇)

○陥下は血が滞って冷えているので灸がよい。陥下者、脈血結于中、中有著血、血寒。

 故宜灸之:禁服篇)

○陥下を視て探し、灸をする(亦視其脈之陷下者灸之:邪気蔵府病形篇)

○つまり血が流れずに冷えて皮膚が凹んだところを「陥下」といい、それを目で視て探す。

○臨床では、単に凹んでいるだけでは陥下とせずに、凹み+圧痛、凹み+硬結、凹み+冷え

 などが有る場合を陥下とする。

○重力の法則を使って陥下を探す。腰痛の場合、立位で見ると陥下がわかりやすい。

○また、陥下は水平に見ると見つけやすく、照明を斜めから当てると陥下の影が出やすい。

○腕や足などは動かして角度をかえると陥下が見つけやすい。

○たとえば腰痛なら、立位で陥下を確認し、伏臥位になったときに圧痛や硬結が認められ

 れば治療穴として採用する。

○陥下のある経脈上には疎滞があることを疑い、その部位から症状を推察して問診につな

 げることもできる。等等。

 

伝統鍼灸学会に参加すると、毎回必ず自分の糧となるものが得られます。もちろん身になるかどうかはそこから先の努力次第ですが、講演を聞いて消化吸収しやすいのは「分かりやすい話」です。長野仁先生も講演の中で、歌舞伎はファッションショーであるとのたとえ話を引用し、難しいことを分かりやすく、鍼灸の世界を伝える大切さを述べていました。宮川先生の講演は大変分かりやすく、そして実践的に古典の世界を学ぶことが出来ました。これから腰痛の患者さんには立位で陥下を探してみるなど、色々試してみようと思います。

次回は実技について感想を書きます。


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2015年

11月

04日

日本伝統鍼灸学会第43回学術大会in東京 1

2015年10月24~25日の二日間、東京・タワーホール船堀にて「日本伝統鍼灸学会 第43回学術大会in東京」が開催されました。大会テーマは「日本伝統鍼灸の確立 よみがえる江戸」です。江戸時代に活躍した治療家や流派の研究発表、迫力のある実技講演など、多くのことを学ぶことができました。

奥村裕一先生の課題研究発表「江戸期鍼灸諸流派における膏の源・肓の源」では、江戸時代の治療家たちが臍を中心とした腹部を重要視していたことや、気一元論の思想を持っていたこと、江戸時代以前から漢学の研究が高水準で行なわれていたことなどを講演されました。

 

膏の源・肓の源について

・鍼灸諸流派が腹部の穴処を重視した~意斎流・夢分流の存在があった。

『針道秘訣集』二十八 亡心之針にて、心気を失ったときに鳩尾や神闕に深く刺鍼することが記載されている。※原文を引用します

※亡針トハ一切ノ煩ヒ、大食傷、頓死等ニ心氣ヲトリ亡(ウシナ)フヲ云フ。右ニ書スル如ク先(マヅ)神闕ノ動脉ヲ診(ウカガヒ)、脉無(ナク)ハ不✓針(ハリセズ)。脉少ニテモ有ラバ鳩尾同ク兩傍ニ深(フカク)針ス。是針ニテ不✓利(リセズンバ)神闕ニ深(フカク)立ヘシ。是ニテ不✓生(イキズハ)定業ト可✓知(シルベシ)。是當流之大事也。亡心ノ証ハ皆以テ邪氣心包絡ニ紛(ミダレ)入テ、心氣ヲ奪(フバフ)ガ故ニ如✓斯(カクノゴトシ)。因テ鳩尾并ニ兩傍ニ深(フカク)針ノ心邪ヲ退ケヌル時ハ本心に歸スル也。諸病ノ心持、實積テ邪ト變(カハリ)シ正ヲ失フ。其邪ヲ退クル節(トキ)ハ元(ハジメ)ノ正ニテ病無ト可✓悟(サトルベキ)也。

 

○匹地流では、鳩尾から神闕のあいだの反応を目当てに、心気にかかわる治療をする秘伝

 を伝えており、太極を中心として、その周囲に病の変異があらわれるとしている。

○沢庵『刺鍼要致』一巻:「悦が刺す所は、経脈の処を除き、柔膜を刺すの一徳のみ、

 扁鵲の抓膜の儀、これに幾(ちか)きのみ」とある。

○『史記』扁鵲伝で抓膜という文章がでてくる。室町時代の幻雲という学僧は、『扁鵲倉

 公列伝』の注釈において膏肓との関わりを記している。

○当時すでに李朱医学が道三以前から研究されていた。五山時代の学僧は、日本の漢学研究

 において最高水準であった。

○先ほどの巻物に肓膜という記載があり、その膜外に垢やススが積もるがごとくに原気の道

 を断ち、気が留滞して諸病をおこすとする、いわゆる一気留滞説をすでに提唱しており、

 無心のこころが気をコントロールしていることが望ましいとする。

○朱子学の林羅山の初期は理気合一で気一元論、貝原益軒も同様である。

○伊藤仁斎の影響を受けて後藤艮山(湯熊灸庵)が一気留滞説を提唱した。

○『格致余論』では、腎は閉蔵、肝は疏泄、それぞれ相火を含み、君火の運化に繋がって

 おり、心が動ずれば相火もまた動く。よって心をおさめ、心を養うことが重要としてい

 る。また色欲の戒めでは、放心を乃ち収めることが大事とする。これは孟子の立場であ

 り、それに対して沢庵和尚は宋代の儒学者、邵雍(しょう・よう)の立場から、心をと

 どめない、とらわれない、かたよらないということを重視している。

 

脖胦については、一般には気海穴(出典は『鍼灸甲乙経』)と認識されているが、考証学派の医家には神闕穴とするものが多く、脖はヘタに通じ、胦は中央に通じる。臍を中心として、その周囲に病の変異があらわれ、それに基づいて刺鍼するということは多くの流派にみられる。『針道秘訣集』では三焦の腑として臍をみており、中心と周囲とがひとつとなる姿という捉えかたが重要となる、と話されました。

 

奥村先生の講演はとても貴重な話でしたが、私には内容が難しく、またパワーポイントを読む時間も無いほど進み方が速かったので、途中で集中力が途切れてしまい、後半の話はついて行けませんでした。脳みそのスペック不足を痛感します。

 

林弘観・大浦慈観先生「雲海士流から日本の古典を臨床に生かす(1)」は、日本の伝統的な鍼灸を実践するうえで大変参考となる、そして、その伝統とは何かについて少々考えさせられた講演でした。

 

雲海士流の特徴は、「保神と保心」「出内の補寫」「揺転の補寫」「気血にあてない」「実には遠隔治療、通常の痛みは阿是穴を多用」「人体を4分割し、単純な配穴に補寫」「難経に基づく気血巡行を重視」と7つあり、その中でも「気血にあてない」という表現で痛みを与えない工夫を行なっていることや、「保神と保心」として、患者と術者の精神状態を安寧に保つことが、気血を乱さぬ刺鍼には大切であるとしていたことに興味を惹かれました。雲海士流では、病は滞ることで発生すると考えていたため、実した患部に鉄鍼を直接刺すのを好まず、四総穴などを使ってその滞りを動かすことを目標としていたそうです。また一方で、患者や術者が「ここだ」と思った処も大事にしたということです。このあたりは、術者が一方的に治療するのではなく、患者と心を通い合わせることの大切さが伝わってきます。刺鍼の際は刺すタイミングや深さを相手に合わせて変えるなど、繊細な技術を追求していたそうです。そして鍼の働きは天地の徳と同じであり、鍼柄を天、鍼尖を地として、「その天地の働きに思いを合わせなければ病治は治らない」といった姿勢や、「自然の師を尋ね無尽蔵の我が心にて熟慮し、道を窮めよ」という教えから、非常に高い精神性を感じます。相手への思いやりを忘れず、自分の治療技術を磨いてゆくというプロセスは、現代でも全く変わらず、我々にとって必要とされていることです。単にどこの経穴を使えば治るとか、○○療法は効く等といった短絡的なものに流されず、治療家として必要な気構えを忘れてはならないと思いました。

 

ひとつ気になったのは、雲海士流の高い精神性はどこから来たのかということです。それは雲海士流の礎となった朝鮮の医師、金得拝がそなえていた徳なのか、あるいは金得拝から学んだ先進の鍼灸技術と、桑名将監と孫の玄徳による日本的な心の融合なのか。我々は日本人の思想は素晴らしかったはずだと勝手に思いがちですが、当時から儲け主義に走る医者や偽医者が横行していたというのが現実だそうですし、悪党だって大勢いたはずです。ただ、朝鮮から連行されてきた医師が、敵である日本人に奥義を伝授したわけですから、互いに認め合える人物であったことは間違いないと思います。鍼の技術的なことはもちろん、そのへんの思想的な背景がどうだったのか、また後の諸流派にどのような影響を与えていったのか考えると興味深いです。林先生・大浦先生のさらなる研究発表に期待しています。


斉藤宗則先生による「WFAS(世界鍼灸学会連合会)の動向と学術大会の魅力」では、この組織が日本の発案により発足したことや、特に中国の視点や戦略が反映されていること、来年はつくばで東京大会が開催されること等の紹介がありました。また、2014年の学術大会では、中国の浮針療法、中医筋骨三針法、経絡激通療法などが発表されて話題になっていたという話を聞き、早速ネットで各療法の動画を見てみました。

 

浮針療法は、点滴針ぐらいの太さの専用針をバネ式の器具を用いて、あるいはそのまま手で5センチほど水平に刺し、そのあと扇形にグリグリと針を動かします。限局性疼痛に著効があるそうです。プラスチックの鍼管を留置して置鍼することもできます。見た目は痛そうですが、実際はそれほどでもないそうです。中医筋骨三針法は、日本では鍼灸というよりも外科処置に属すものと思われます。注射器でオゾンの気体を椎間に注入したり、いろいろな種類の針を関節や骨膜、筋膜に刺鍼してグリグリしていました。また頚椎のスラストも行なっていました。経絡激通療法は、『素問』繆刺篇にあるように「左の病を右に取る」といった方法を用い、たとえば右膝が悪ければ左肘に刺激をします。特徴的なのは経絡を生物電波と捉えて、それを調整するために「経絡激活儀」という、先が員針のように丸くなった電気器具を使用することです。反射区は番号によって図に示されており、誰でも簡単に経絡を調整できるそうです。動画では3名の患者に治療を行なっています。背中を肘でゴリゴリして、腹部に経絡激活儀を当てると、肩痛や腰痛に著効がみられました。治療後のおばあさん、杖を放り投げて大喜びです。下記の文字をコピペしてgoogleの動画検索をすると、すぐに見つかります。

针疗

刀筋骨三

经络激通

 

また、現代中国人と日本人との鍼灸に対する考え方や感覚の違いがよくわかる動画がありました。おそらく、日本の鍼灸しか知らない人にとっては肝をつぶすかもしれません。治療方法が良いとか悪いとかではなく、患者の女性に注目すると、貝原益軒が日本人と中国人の違いを指摘した理由が納得できます。

银质针疗视频 病人篇 病人1


では、中国人には微細な日本の鍼灸は適さないのでしょうか? そんなことは無いと思います。私は雲南省や四川省の少数民族の友人(イ族・プーラン族・蒙古族)を訪ねた際に超旋刺と八分灸、台座灸で治療をしましたが、それぞれ効果がありました。来年のWFAS東京大会で、日本の鍼灸が海外の治療家からどのように評価、理解されるのか関心があります。また、世界の鍼灸事情がどうなっているのかを知る良い機会であり、ぜひ大会に参加したいと思いました。

 次回も伝統鍼灸学会のレポートをします。


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